府中印象記

  本日は府中でgekoの会の会合がある。文学フリマは面子が揃わず、そのおさらいみたいな会だ。かくいう私も文学フリマの設営をした後にお暇した口である。府中というところはわが地元所沢からアクセスしにくいと思っていた。新宿まで出て小田急線、コロナ禍前ならまだしも腰が重くなった今では到底行けない。しかし、府中本町までは乗り換え一回で、すこぶるアクセスしやすく、今回の会合で府中が意外と近いことが判明した。

 さて、府中本町からすぐ「国司館と家康御殿史跡広場」なる公園がある。駅前に遺跡というのはなかなか文化的な街である。人工芝の上に高校生がそのまま寝転がっている。木の柱が十数本立っており、かつての武蔵国の賑わいを後年に伝え、奥には万葉集にちなんだ草木が植えられているという庭があったが、山桜と片栗は名札付きで確認できた。あとは勿忘草は名札だけあり、ベンチに寝転がっている高校生がいる。


  不来方《こずかた》のお城の草に寝ころびて

  空に吸はれし

  十五《じふご》の心 石川啄木『一握の砂』


 啄木の歌を想起したが、人工芝の上にいる高校生は数人おり、現代という俗っぽさも手伝い、十五の心とは案外、ダルい、かったるいというような言葉で解消されてしまう抒情なのかもしれないと思いつつ公園を後にする。あふれる時間とエネルギーを浪費する贅沢を今となっては羨むばかりだが、たしかにその頃はやたら眠かった記憶がある。

 さて、公園から大國魂神社の鳥居がすぐ見える。参拝は二度目だが、境内に市立図書館や郷土資料館、宝物殿、冠婚葬祭も請け負っているので、神社としてはかなり成功しているほうだろう。参拝客も観光地と言わんばかりにいた。「ふるさと府中歴史館」は無料で入館できる。府中の縄文時代から近現代まで歴史的資料が紹介されており、矢じりや磨製石器、土器はもちろん、古代から中世にかけて青磁器などの器も見ることができる。先の公園でもあったが、かつての府中市は国司が滞在し、青磁器などの渡来品を関東に行き渡らせる機能を果たしていたようである。近辺には古墳や札所、また古木など見どころがあるようだが、空模様も怪しいので早々にカフェに引きこもる。

 駅ビルのフードコートは比較的空いていて読書がしやすい。同じビルの本屋で購入した加藤典洋著『僕が批評家になったわけ』を読みながら密会の時間までの時間をつぶす。家に置いてきたテリー・イーグルトンも途中なのだが、まぁ……。時折、「いきなりステーキ」でビフテキを買った客が油飛沫とにおいを撒き散らしながら歩いてくる。筆者はヴィーガンではないし、たまにはビーフを食べたくもなるが、油飛沫とともにステーキを運ぶ人をみるとどうも動物の顔だと思わされる。不思議な感覚。それらを加味しても空いているから長居に耐える空間だ。読書のお供に食べた台湾カステラは美味い。あの柔らかさと弾力のバランスは何でできているのだろう。また、日本におけるカステラと歴史的な起源は同じなのかなど今後も気になる菓子である。

 各々が揃い、駅ビルにあるイタリアン料理店に入る。今日はサイゼリヤではない。会員の75パーセントは下戸なのでノンアルコールを中心に、オレンジジュースやホットコーヒーなどを頼む。料理は難解な名前で忘れてしまったが、小魚の南蛮漬や揚げパン、ローストポークなどが美味しかった。短歌らしい話もしたはずで、忘れてしまったが、コロナ禍前の話をすると随分昔のような気がしてくる。