窪田空穂歌集『清明の節』における〈われ〉と生命観

 『清明の節』は遺歌集で、避暑地の軽井沢を除くと、自宅や庭等近隣の歌が多く、外出さえままならない病床の歌も収められている。一方で老いに反して意識は研ぎ澄まされ、またときに遠くから世界を俯瞰する歌もみられる。

 

  九十を一つ超えしと人われを言ふわがものならず命の齢なり

 

 引用歌は自身の年齢を直接詠みこんでいる。九十歳の大台を超えたことを意識しているが、年齢を〈わがものならず命の齢なり〉と客観的にみている。若く健康なうちは生命は当然あるもので意識をすることは稀である。死を意識したときに生命は具体物として浮かんでくる。具体物である“生命”を詠ったときにその影として死が存在するのである。

 

  四時間ごとに飲むべき薬飲ますとて妻は秋の夜眠りの短き

  わが腰を支ふる老妻力尽き倒るるにつれてわが身も倒る

  立たざれば用を弁ぜぬ身にしあれば立たぬ足腰立たさねばならぬ

 

 他者を詠むときに、〈われ〉が即物的に扱われているところに印象が残る。一首目は夜も薬を主体に飲ませるために起きている妻を〈秋の夜〉と修飾することで歌にしている。静かな秋の夜と妻の存在が際立っているが、そこには描写されない主体がいる。一首のなかで巧妙に自分を消しているのである。二首目は二句切れで読むと上句は、〈老妻〉が下句と跨っていることがわかる。「老妻がわが腰を支える」という初、二句の主語と、「老妻が力尽き倒れる」の下句の主語を〈老妻〉は兼ねているのである。上句を読むと〈わが腰〉を目的語に据えて自らを客観的に扱っている。結句では自ら倒れてしまっているが、どこか他人事である。立つのも倒れるのも自分の医師のおよぶところではなく、妻や老いに因っている。三首目も同様に〈足腰立たさねばならぬ〉と自動詞ではなく他動詞である。立つことが困難な足腰はわがものにならないという読みができ、冒頭に引用した〈わがものならず命の齢なり〉と同じような構文だ。本歌集で空穂は自らの生命や身体をわがものならずと扱っていることが、この二首を読むとわかってくる。


  臘梅の老いさびし香のほのぼのとわが枕べを清くあらしむ

  庭と椿あひ思ひあふ仲なりや高椿三本せまきこの庭

 

 庭周辺の自然詠でも先述の傾向はみられる。一首目は「大寒」という連作より引用した。蠟梅の老熟した存在感と香りをゆったりと詠んでいる。連作を読むと寒さで体調は思わしくなく床にいることが多いようである。ここでも寝ているはずのわれは描かれておらず、蠟梅と枕が描かれている。二首目は庭の景だが、庭や椿が擬人化されている。椿が三本生えておりにぎやかで庭が狭いようだと読めばいいのだが、主体を消したり生命を客観視する自らに対するストイックな姿勢だけではなく、老いからくる柔らかさが感じられる歌だ。高椿が家族の比喩とも読める。老いた自分の肉体と、老妻という白黒の厳しい風景に庭が彩りを添えている。

 

  白菊のほのかに紅《あけ》のさし来たるこのいみじさを古人《ふるひと》愛でぬ

 

庭から発想を膨らませ、いにしえに思いを飛ばすこともできる。菊は古くは大陸から持ち込まれた花で、いにしえより市井の人が愛で、それが長い時間かけて定着してきた。仏花や菊の御紋など、信仰や権力などにも採られていることが、菊と日本人の結びつきを物語っている。引用歌は菊にそのような大きな物語が付与される前の人との結びつきを詠っている。白菊の花弁の薄さにほのかに色がつくその微細な花には、先程の大きな物語は過分なものであろう。迎えすぎだが、空穂もそのようなことを考えていたのかもしれない。数多くの古典評釈を著してきた空穂ならではの歌で、古人は空穂の先祖のようなものでもあるのかもしれない。

 

  生きのこころつぶさに見する先覚者わが前にあり少なくはあらず

 

 空穂の老境の歌というと〈永久の我と宇宙と相対し二にして一の境にし生く〉、〈四月七日午後の日広くまぶしかりゆれゆく如くゆれ来る如し〉のような生命や宇宙観を大きく捉えた歌が有名だが、引用歌や先程の菊の歌のように、空穂の文業からくる感慨も読みどころであろう。鈴木大拙との交流を詠った歌も本歌集には収められており、古典評釈に捉われず、かねてから信仰していたキリスト教、仏教などの宗教的示唆、また自らを読書子と称しており各知的巨人の生きざまが晩年の空穂の頭にあった。空穂の老いの歌がよいといわれるのは、空穂ひとりの人間的な持ち味からくるものだけではなく、古人、先覚者とともに生きた空穂の生きざまからくるものであろう。空穂のなかで消化されて読者に届くので押しつけがましくなく、手触りとともに伝わる人間学がある。本歌集には〈千曲川鯉うなぎあり信濃そば打つ者もあり行きては食《く》はむ〉のような楽しい歌もあるが、また次の機会に読んでいきたい。