2022年7月の日記

 2022/6/25

 日記を再び書こうと思う。人生はすぐ終わってしまうから書かなければ読むことができない。

 暑い。梅雨は終わったようだ。庭の百日紅の枝を剪定する。園芸の心得はないがなんとなく不要な枝は分かる。型があって、野生からくる余分なものを削ぐ。まぁなんとなく文章の推敲みたいなもので、こういうところにも文芸は応用が効く。

 昨日から首が痛い。整形外科でレントゲンを撮ってもらうとストレートネックらしい。日頃姿勢悪く本を読んでいるからだ。これは文学の副作用だ。

 暑さが異常なのは環境破壊が原因だと決めつける、いや間違っていないはず。セブンイレブンの環境に関する募金箱に募金した。投資先を国内の脱炭素を推進している企業に変えた。この暑さを受けて歌が六首ほどできた。


2022/6/26

 首の調子は少しいい。ストレッチと外用薬の賜物。たまに首はほぐさないと大変なことになると勉強になった。久しぶりに近くの鳩峰八幡に参拝する。暑かったが気分はいい。今年は電気も水も不足するだろう。亡国どころか人間にとっては亡星になりかねない。

 午後はかりんの歌会。いろいろ勉強になった。


2022/6/27

 猛暑日が続く。かりんの前月鑑賞が届く。


2022/6/29

 相変わらず暑い。昨日はかりんの前月鑑賞のために歌をピックアップした。


2022/6/30

 空穂全歌集を読んでいるうちに歌が数首できる。短歌をはじめてから七年過ぎるが一週間に十首つくるというノルマは継続できている。多作多捨という言葉もあるが、定型詩を生理現象にしたい。毎月の東京歌会も皆勤賞にしたかったのだが、以前ワクチンの副反応で一回休んだ。


2022/7/1

 職場は新体制。生業へのモチベーションが少し上がってきた。以前は専門書をよく読んでいたのだが、近々何か読もうかしら。一週間疲れてしまったので岩野泡鳴『憑き物』を読んでいたら寝てしまった。泡鳴の文学論神秘的半獣主義を『憑き物』内で茶化している。面白い。


2022/7/2

 休日。午前中は「かりん前号鑑賞」の原稿に取りかかる。九割できた。昼は定食くるまという店に行く。何十年も前からある気がする所沢の名店。和洋中すべて揃っており、酒も飲める不思議な店。カツカレーを食べる。泡鳴『憑き物』読了。夜は中野でかりんの全国大会の機材テスト。十三階から中野を見下ろすと、都内の夜景らしさがある。クレーンはそんなに高くないのに赤いライトを煌々と発している。その後、数人で食事をする。コロナ禍はそろそろ終結しそうな気がする。


2022/7/4

 平日が始まる。スタミナの問題なのか仕事終わりは難しい本を読むと眠くなる。小林秀雄の「私小説論」はダメだった。


2022/7/6

 昨日は寝てしまい、今日は頑張る。疲労は文学の敵だ。小林秀雄の文体も読みにくいのかもしれないという他責の思いも出てくる。


2022/7/7

桃を丸かじりする。前月号鑑賞入稿。


2022/7/8

 ご近所から直径50センチ以上する西瓜をいただく。包丁の刃幅が足らず円形に入れても切れない。果汁は豊富で甘い。桃を丸かじりする、何個食べても美味しい。


2022/7/9

 鈴木大拙『日本的霊性』読了。鎌倉時代で農民や武士といった土に触れ、生老病死に実際的に触れている民に仏教が行き渡り、日本的霊性が目覚めたというもの。念仏や禅などは確かに、実質的なところがあり日本ナイズドされているというのも合点が行く。現代においてはまた土から遠ざかっている。

 西瓜をたらふく食べる。大きいのでまだたくさんある。


2022/7/10

  ヘルマン・ヘッセ『庭仕事の楽しみ』読了。庭仕事は瞑想のようというが、確かに草取りは頭が空っぽになるので読みあぐねたときに最適だ。また、庭の生態系は思想、社会を暗示するときがある。はたからみると庭仕事に没頭するヘッセは、自閉的で心配になることもあったらしい。私小説でヘッセが書いている。自覚はあったんだな。筆者の庭にも毎週手を焼いている。しかし、そこから生まれる歌もあるから庭仕事はやめられない。

 選挙。毎回残念な気分になる。

 西瓜を食べる。切ってしばらくするので切断面が乾いてくる。美味しいうちに一気呵成で食べなくては。


2022/7/11

 投資関係のポートフォリオを見直す。どうも国内の商品やESG関連が弱い。手を引いて、収益性の高い銘柄に投資して、利益を募金した方がよさそうだ。

 窪田空穂『清明の節』を再読する。じっくり読んで何か書きたくなる歌集だ。

 NHKのFM能楽堂で養老を聴く。実際観たほうがいいのだろうが、ついFM能楽堂で観に行った気分になってしまうからよくない。養老伝説を知り、居酒屋の養老乃瀧の名前の味わいを知る。

 あるネプリ(予定)の詠草が仕上がる。

 西瓜を食べきった。種は来年庭に撒いてみよう。たくさんできたらどうしよう。

 元首相が銃撃されたことを日記にしてなかったことを思い出す。記録の意味でここに書いておく。


2022/7/12

 久しぶりの雨と雷。庭の木々も喜んでいるだろう。


2022/7/13

 生業の話。専門性云々っていうひとほどそれがない。いわゆる専門的な能力があるひとは当たり前のことなので、前提としてそれを話すと思う。専門性のない専門職は社会システムにおける脆弱性だ。あくまで生業の話。

 雨は長く多く降った。久々の雨だ。


2022/7/14

 生業は相変わらず微々たるトラブルがある。餓鬼を身内に飼っているひとがいるようだ。

 空穂を改めて読んで何か書いている。二頁くらいのエッセイになりそうだが、掲載先はブログかな。そこで体力が尽きてしまう。明日を乗り切れば三連休だ。


2022/7/15

 雨。戻り梅雨か。水害も出ているらしい。疲れたので帰りにパークホテル前の焼き鳥屋で皮、ねぎま、つくねのタレを買って帰る。夕げの鯵の開きも美味。キッチンが焼き魚臭いので深夜に重曹水でくまなく拭く。

 一週間終了。生業の比率が大きい期間だった。この死線が文芸に昇華できればいいし、そのなかでこころを遊ばせることができる人物になりたいものだ。生即文芸かっこよくいえばそう。今日は帰宅後は寝ることしかできなかった。明日に期待だ。


2022/7/16

 休日。半日は頭をオフにするのにかかる。マッサージにもいく。ストレッチもして体調がよくなる。調子にのって二郎系のラーメン屋に入ってしまったのが選択の誤りで後悔することになる。

 アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート著『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』を読み始める。いまの状況に必要なマルチチュード。古今東西世界は良かった試しはない。コモンズが有効に機能したら人類は動物ではなくなってしまう気がすると性悪説的な感想を抱く。

 映画『ベイビー・ドライバー』を観る。音楽を聴くと天才的なドライビングテクニックを発揮するbabyと呼ばれる青年が主人公。なかなか面白かった。


2022/7/17

 トーマス・ベルンハルト『原因 一つの示唆』読了。ナチズムと終戦後のカトリズムを批判している私小説。ナチズムとカトリズムを繋げるのは皮肉が効いていていいが、日本人には頭ではわかっていても深くは理解できないだろう。それにしても結構痛烈。

 ブログを更新。空穂について。このクオリティで継続していきたい。

 サイゼリアで豪遊する。ムール貝はガルムソースがついていてこってり系だった。シンプルにオリーブオイルとガーリックと塩でもよかったかもしれない。イカスミスパゲッティは結構おいてある店が少なく、サイゼリアならではなメニューだと思う。ムール貝とイカスミ、イタリアの港町を訪れたという設定だ。また、アイスケーキのなかにブラックチェリーが入っていて思いの外美味しかった。

 昨日観た『ベイビー・ドライバー』が印象に残っている。YouTubeでサウンドトラックを聴いたり、ラジオで70年代の洋楽ナンバーを聴く。アメリカ!!って感じだ。


2022/7/18

 連休最終日。昼は西武百貨店に入っている清元という和食屋で穴子のちらし寿司を食べる。夏は穴子が旬で、鰻は冬が旬らしい。

 西脇順三郎編集『英米詩集』を読み始める。普段使わない文芸の回路が駆動する感じがする。小津安二郎監督『秋刀魚の味』を観る。いろいろ考えさせられる。一つは結婚か……、最近脱構築されているけど、結局のところ多少の社会性と知性のある猿としてリプロダクトは避けられない問題だろう。投資が順調にいくといろいろもて余すと思っていたところでこの映画である。


2022/7/19

 『英米詩集』を引き続き面白く読む。詩人は度々時代の危機を詠ってきた。世紀末感や社会の分断などである。現在直面しているどうにもならない感じは文芸になるか。

 土佐のあまとうなるものを天ぷらでいただく。大きな獅子唐のような野菜。しゅんで地物は美味しいに決まっている。

 昨日観た『秋刀魚の味』だが、劇中では結婚はそんないいものとして描かれてなかった。人の性みたいな感じ。しかし、世間が言うように結婚、子育てが幸せなものならば、それらを享受できなかった独身中年男性には世間は優しくしてほしいものだ。山上憶良ではないが金にも玉にもまさる人生のもっとも大切なものを欠いていることになるのだから。

 報道で連日自民党と統一教会の関連性について取り上げられている。自公連立政権は新興宗教タッグということになるが、与党内で宗教戦争が起きないところが日本らしく天晴れ。あと新しい資本主義で投資による利益を出して、それを新興宗教へ寄付みたいな目論みも穿った見方をすればありそうで、これもよく考えられている。ここ最近はディストピア小説みたいだ。


2022/7/20

 映画『ナイブス・アウト』を観る。ダニエル・クレイグの紳士探偵な演技もいい。『英米詩集』読了。雑に感想を抱くとアメリカ詩のほうが韻律から少し自由なんだな。あとイギリス詩の影響も持ちつつ、少し露悪的や、斜に構えた感じがある。面白かった。


2022/7/22

 一昨日から首が痛い。空穂に関する文章をブログにアップする。


2022/7/23

 今日はかりんの全国大会のはずだったが新型コロナウィルス感染拡大で、明日のオンラインに振替。1日空白ができる。

 ジョニー・デップ主演の映画『シークレットウィンドウ』を観る。離婚調停中の小説家の元に、小説を盗作されたと主張する男が現れて、ものが壊れたり人が死んだりする映画。芸術史上主義とも観られるし、精神分析学的にも観られる。

 昼は肉汁うどん。暑いし湿気もある日だから、天ぷらはしなっとしており、麺も少し柔らかい。夏に美味く感じるのは素麺とソース焼きそばくらいかもしれない。

 queenのbrighton  rock を疲れたら最近聴く。リフもファルセットのAメロもギターソロも最高だ。でもミッキーマウスマーチにどこか似ている気がする。そんなこと考えていると、邪悪なミッキーマウスのコスプレをしているマリリン・マンソンが思い出される。日本では若者が気楽に楽しむ娯楽施設という印象があるが、詳しくないがディズニーは版権やアミューズメント施設を各地につくる際の環境負荷などを考えるとグローバルな〈帝国〉に見える。よくわからないが古城もあるし。中にはマリリン・マンソンのコスプレのような邪悪なミッキーマウスもいるだろう。まぁ日本もいまやカルト国家なのでとんとんだが。

 オルハン・パムク著『パムクの文学講義 直感の作家と自意識の作家』読了。ノーベル文学賞作家の文学についての本。平易で分かりやすい。

 NHKラジオ「真打ち競演」を聴く。漫才はナイツ、落語は三遊亭小遊三師匠と豪華なメンバー。かりんの会でお笑いの話に度々なるけどナイツは面白い。大谷翔平でボケてるけど、自分も野球に疎くよくわからない。英語漫才も面白かった。笑点以外で小遊三師匠の噺を聴けるなんて貴重。演目は花色木綿。

 庭の槇のひこばえを伐り挿し木にしてみる。


2022/7/24

 母と名栗へ旅行にいく。新型コロナウィルス感染症がここにきて蔓延してきているが、県内だし前々から予約していたのでご容赦いただく。家から近いので掃除機や拭き掃除をしてからでもスケジュールに余裕がある。

 まずはあけぼのの森。飯能市営のムーミンをモチーフにした公園だ。幼い頃何回もいっており懐かしい。ムーミンの物語に出てくるような小屋や橋、小川などが自然の地形を生かして配置されている。トーベ・ヤンソンを紹介する小屋もある。家族連れも多い。ホッケー場が隣接している。飯能はホッケーの町らしい。

 昼は宿である大松閣の近くのカフェ。チキンカレーをいただく。お子さまお断りの店内は静かでおしゃれな空間。テラスから夏草の繁る草原がある。

 少し早いが大松閣へチェックインする。棒ノ嶺というらしいが杉山がそびえており、旅情をかきたてられる。牧水の歌碑も宿の前にたっており、その下を清流が流れている。水気を含んだ空気が暑さを和らげ心地よい。

 夜は蓴菜の鍋や鮎の塩焼き、鯉のお造り、埼玉県産豚肉の朴葉味噌など地物をふんだんに使用された懐石料理がでる。提供のタイミングも的確で待たずに食事ができた。


2022/7/25

 朝ご飯はちりめん山椒や飯能産納豆、手作りの豆腐でご飯が進む。二日目は能仁寺に行く。天覧山の麓にある寺で、庭園が有名。平日なので貸し切りである。山の斜面を生かして勢いのある斜面が魅力。黒い鯉は泥を吸い、金の鯉は泥をヒレで掻き乱す。鯉にも生き方があるらしい。月曜なので土産物屋は閉まっていた。


2022/7/26

 仕事。リフレッシュをしすぎると給与所得者であることを忘れる。


2022/7/28

 生業が多忙で昼はソイジョイで済ませる。十一時間ぶっ通しだと流石に疲れる。「カルメン組曲」の「アラゴネーズ」と「火祭りの踊り」を聴きながら目をつぶる。眠いままだ。ゼブラヘッドやランシドなどの洋パンクを聴く。次第にエンジンがかかってくる。

 窪田空穂歌集『濁れる川』についての文章を書きたい。少しだけ進む。


2022/7/30

 午前中は読書ののち朝寝。朝から暑く熱中症になりかけた。塩を舐め、クーリングし水をがぶ飲みする。熱中症にならずとも血栓が何処かに飛んだら大変だ。

 エズラ・パウンド『カンツォーネ』読了。古典に寄った愛と時の詩集。岩波「図書」八月号読了。生態学的園芸の話は興味深かった。全体を読むとエコクリティシズム多めの紙面だが、気候変動に対する編集者の危機感だろうか。

 近くで気になっていた割烹松屋に行き、ポークソテーを食べる。丁寧な食事。椿屋珈琲店で和三盆シフォンケーキを食べる。

 グローバルな権威はアフリカの人口増を期待して覇権を争っているらしい。一向に世界は変わらないが、仕方ない。嘆くばかりでなく利用させていただこう。……新興国に少し投資するか。

 カール・ヤスパース『哲学的思惟の小さな学校』を読み始める。ヤスパース的な実存感は包括者の解説でよくわかった。また、超越者を目指す人間像はニーチェの超人に近い概念なのか。また、ヤスパースは哲学はすべての人に開かれることをカントに共感しているが、日々の生活に留まる一般大衆と、変化していく人間と線を引いている。