2022年8月の日記

 2022/8/1

 バジリスク甲賀忍法帖を全編観た。江戸戯作というか大衆小説感のあるアニメで風情がある。

 「スコットランドの勇者」を聴きながら空穂の文章を書く。眠気と雄々しさ、どちらが勝つか。


2022/8/2

 カール・ヤスパース『哲学的思惟の小さな学校』二周目読了。哲学書は二回読まないと概観すらつかめない。

 それにしても猛暑が続く。生物絶滅の危機を感じる。


2022/8/3

 生田省悟ら編、高銀、ゲーリー・スナイダーら著『「場所」の詩学 環境文学とは何か』を読んでいる。環境と文学の関係を掴みたい。国家や種族ではなく場所にアイデンティティを置くということや、ジブリの自然の捉え方の論文など興味深い文章が収録されている。スナイダーは場所の詩学を語るとき詩学は比喩で、スナイダーの原体験や山川草木が詩学なのだ。


2022/8/4

 『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』を読む。真実を知るものの苦悩が印象的だ。活動的なときもその後の静かなときも苦悩が伴う。共感できるひとに憧れるが、自分はそっち側ではない。理解はできるが。

 東北は豪雨災害。地球のこれからのスタンダードだろう。歌人は詠うことしかできない。


2022/8/5

 映画『グレイマン』を観る。いいアクション映画。近藤芳美賞を出そうかと思う。


2022/8/6

 ピーター・D・ウォード『地球生命は自滅するのか?』を読む。ガイア仮説といい、地球は一つの生命でホメオスタシスを備えているという考え方がある。その後、地球システム理論として洗練されていったが、ガイア仮説という考え方は地球に対して牧歌的な見方であり今日は批判的な意見が多い。ガイアは地母神であり、慈悲深いものだがウォードは地球はガイアではなくメデアであるという。メデアはギリシア伝説の人物で、夫であるイアソンが王の娘である他の女と結婚したところ、その王と娘、子を殺したという魔女である。地球に生息する生物が地球の子であるなら、それらを殺すメデアであるというのだ。

 ガイア仮説はホメオスタシスのシステムなので、例えば火山噴火などで大気中の二酸化炭素濃度が上昇すると気温が上がる。そうするとガイア仮説下ではホメオスタシスが働き、二酸化炭素濃度を下げ気温を下げるような作用が働くはずである。例えば二酸化炭素濃度が高まることで植物が繁茂し光合成が活発になることや、気温上昇で砂漠が増えるものの、白い砂が太陽光を反射し熱が宇宙空間に戻るなど(アルベドというらしい)が考えられる。つまり、ある作用において負のフィードバックがなされるということである。

 しかし、自然史をみるとガイア仮説は支持されないようだ。負のフィードバックはあるが、それ以上に正のフィードバックが大きい。つまり寒冷化はより寒冷化を進め、温暖化はより温暖化を進める。南極にワニがいた時代もあったらしい。地球に神の見えざる手はないということらしい。そして人間は環境に影響を能動的に影響を及ぼす生物で特にメデア的であるというのだ。

 ウォードは環境主義、とりわけ環境が第一で人間は悪影響を及ぼしている、人間の手の及ばない自然が優れているというディープエコロジーの立場をとらない。それは人間という種自身がメデア的であり、生物が多かれ少なかれメデア的なのでディープエコロジーは現実的ではなく、またディープエコロジーを実現してもそれが地球システムに良い影響を及ぼすとは言いきれないからである。ウォードは人間が知性を使って地球システムを保つこと、さらにいうと数億年後に地球外の要因(ガンマバーストや太陽の肥大化)で地球に住めなくなったときを見据えるような考えを人類が持つことに期待している。そのためには環境と実用性(経済や快適な居住性を漕艇部すればいいだろう)を両立させるエコプラグマティズムの立場をとっている。技術的特異点はもちろん期待されるが、ウォードは現在の技術でも地球規模で環境政策を実現できれば地球環境は維持できるのではとも述べている。そのためにはどうすればいいかは、人間次第ということ。

 メデアの視点は示唆的だった。人間の免罪符にはならないが、進化と絶滅の繰り返しだったのだろう。

 近くの割烹松屋で和弁当を食べる。天麩羅がさくっとしていて美味しい。生姜醤油らしい。女将さんがフランクに話して来てくれて良い時間だ。また、三十四歳にして学生と間違えられた。最近毎日ビタミンCのサプリメントを飲んでいるからかもしれない。

 「かりん」が届いた。巻頭評論はわれながらよく書けていると思う。誰も言ってくれないから自分で言う。

 海外ドラマ『サンドマン』第一話をお試しで観る。近代から現代における夢の王の話。ギリシア神話がベースらしい。話が大きいというか概念的というかそうなると、興味が拡散する。一話でおしまいでいいかな。


2022/8/7

 昼は近場のイタリアン周に行く。茄子とベーコンのトマトソースパスタは何処でも美味しい。

 谷川渥著『孤独な窃視者の夢想 日本近代文学のぞきからくり』を読みはじめる。


2022/8/8

 月曜。映画『RED』を観る。サクセスフルエイジングとアクション映画がテーマ。ブルース・ウィルスは生き生きと恋愛をして、若者を出し抜いて、男臭くかっこよく画面を駆けめぐる。同じようなテーマで『エクスペンダブルス』があるが、『RED』のほうがみんな楽しそうに銃を撃っている。


2022/8/9

 大森静佳歌集『ヘクタール』購入。早速二周読む。書きたくなる歌集。

 谷川渥著『孤独な窃視者の夢想 日本近代文学のぞきからくり』読了。

 空穂の文章もぼちぼち書いている。

 いただいた梨をいただく。爽快かな。


2022/8/10

 明日は山の日。生業で疲れながらも『ヘクタール』の歌集鑑賞を書く。昼はヤマザキのコッペパンを食べた。美味しいコッペパンは数あれどヤマザキのコッペパンこそ日本の大衆的なコッペパンな気がする。

 梨を食べる。毎日食べているが変わらず美味しい。


2022/8/11

 昼は所沢うどんの人気店涼太郎で済ます。麺にコシがあり、無骨、それでいて小麦の香りやグルテンの強い結合を楽しむことができ人気なのも頷ける。

 アインシュタインとフロイトの『ひとはなぜ戦争をするのか』読了。

 ヤブカラシの塊を肥後守でザクザクと刈る。鎌より短刀のほうが外に振れるから範囲が広い。茶碗の尻でタッチアップを済ませたから名刀のごとく斬れる。


2022/8/12

 ヤマザキのコッペパンは売り切れで、仕方なくミニストップのプライベートブランドのコッペパンあんこマーガリンサンドを買う。ヤマザキのOEM商品なのだが、若干香りの低下やパサつきがある気がする。そして何よりコッペパンはイチゴジャムに限る。新型コロナウィルスワクチン4回目。今日は帰って寝る。梨が沁みる。

 最近NHK で「京都人のひそかな楽しみ」というドキュメンタリードラマを観ている。京都の生活に根付いた習慣を美しく、また敬い遠ざける感じで観ている。筆者は結局のところあずまえびすなのである。だがしかし、いい仕事に触れたくなる。週末は割烹にいこう。


2022/8/13

 午前中は倦怠感があり寝て過ごす。午後徐々にエンジンがかかるが台風が来ている。お供に「軽騎兵序曲」と「行進曲 ワシントン・ポスト 士官候補生」を聴いている。割烹にはいけず冷凍庫にあった高菜チャーハンを食べる。

 映画『斬る、』を観る。幕末の浪人の映画だが、人を刀で切り殺す残酷さと、斬ってしまった心的外傷を上手く表現できている。このような視点の映画は初めて観た。

 森淑子歌集『山茶花忌』読了。挽歌は時間と人生を含む。その広がりと深さを感じる歌集だ。

 窪田空穂『貫之歌集』を読み始める。視点がなかなか面白い。人間味に引き付けて読むと、古今和歌集や貫之の汚名は返上できそうなくらい面白く空穂は読んでいる。

 近藤芳美賞の応募原稿を書く。絶妙な賞なのだが、短歌の総合誌が関与しないところがいい。

 梨が美味しい。もう秋か。


2022/8/14

 映画『レインメーカー』を観る。マッドデイモンが新人弁護士を演じる。社会派かつヒューマンドラマ。


2022/8/16

 最後の梨を食べる。


2022/8/17

 野田研一ら編著『環境人文学1 文化のなかの自然』を読み始める。石牟礼道子『苦界浄土』の環境批評における影響の大きさや、英米文学で培われた環境批評のウェルダネスやパストラル、場所という理論をベースに質的に積み上げていく日本の研究を垣間見る。環境詩学は環境政治学とは違い、環境と人間の交感を啓示するものなので、質的な語りが重要なのである。


2022/8/19

 環境人文学の本がまだ読了しない。体力が家に帰ると尽きるのだが、どうにかならないものか。竹久夢二などロマン主義以降の美人画は植物的に美に歪められているという文章が面白い。そうかもしれない。晶子や登美子など明星の女性歌人が花の名で呼ばれたのもそれに近いのではないか。


2022/8/20

 久々に山田うどん。地のものを食べると元気が出る。パンチという名のもつ煮、かき揚げ丼、たぬきうどんを食べた。

 野田研一ら編著『環境人文学1 文化のなかの自然』読了。野田研一ら編著『環境人文学2 他者としての自然』を読み始める。

 ジョニー・デップ主演『MINAMATA』を観る。公開当時批判もあったようだが、事実関係についてだろうか。まぁ社会性のある映画は一部で苦々しく思う人もいるだろうし批判があるのは当然と言えば当然であるが、事情に疎い筆者からするといい映画だと思った。社会的なインパクト以上にヒューマンな感動がある。

 エコソーシャルアプローチについて学んだ。簡単に言うと社会変革や地域の組織化といったソーシャルワークの得手を環境問題に向けるというものだ。たしかに先進国や巨大資本をはじめとした経済成長モデルが環境問題を招いている構図は、公共哲学、社会福祉学の領域でもありそうだ。地球のウェルビーイングという概念が出てきたがなかなか面白い。質疑応答でマルクス主義の影響があるという批判があったがもはや強固な社会構造なのではと思った。またSDGSの取り組み自体がソーシャルワークめいていて、エコソーシャルアプローチの概念が揺らぐのではという意見もあったが、環境人文学という枠のなかに存在する学問領域という考え方でいいのではと思った。エコソーシャルアプローチで先験的に取り組まれているのは里山、日本式林業、霞堤などだろう。また、ナショナルトラストで保全される森林もそれに近い。


2022/8/21

 「世界遺産」でンゴロンゴロ自然保護区が取り上げられていた。ヌーが無数に南北に草地を求めて移動する。その間にライオン、チーター、ハイエナなどに補食される。栄養の循環を担っているようだ。噛みつかれたヌーが無表情でさして声をあげないのもどこか補食されることが折り込み済みという感じがする。「地球ドラマチック」ではアルプスでヒグマを取り上げている。どこか人間らしい素振りがある。環境批評で人が手をいれていない自然というウェルダネスという言葉がある。一次的自然ともいうようだが、しかし国立公園に指定されたり、アルプスの森の真ん中に高速道路が走り、事故のないように野性動物専用の橋がかけられている環境はウェルダネスといえるのかなど考えた。

 野田研一ら編著『環境人文学2 他者としての自然』読了。

 昼は所沢の肉汁うどん屋の涼太郎。


2022/8/22

 秋らしくなってきた。方々で夏草を刈ったのかほんのりと草の匂いがして、ぼうぼうとした夏草は姿を消した。さて、虫の声で急に夏草が秋草に見えてくるものもある。季節のどこか人間本意なところである。

 歌を少しつくって、窪田空穂歌集『土を眺めて』を少し読む。挽歌集の印象が強いが、結構象徴主義的な歌もあるのだ。

 小谷一明ら編著『文学から環境を考える エコクリティシズムガイドブック』を読み始める。


2022/8/27

 休日はなにかスカッとする映画をみたい。『ミュータント・タートルズ』は亀のミュータントで忍者でティーンエイジャー。幼稚園のときアニメ化されており好きだった。現代の技術でCG化されるといいヒーロー映画になる。幼稚園のときにいくつものタートルズのフィギュアを持っていた。とりわけ発明家で棒術使いのドナテロが好きだった。いつも突破口になっていたキャラクターだった。

 昼は山田うどんで味噌ラーメンとミニかき揚げ丼。味噌ラーメンは初めて食べて美味しかった。味噌ラーメンはおおむねどの店でも美味しいのは、味噌の旨味と豚骨の旨味がダブルで効いていることと、味噌汁で舌が慣れているからだと思っている。具材も野菜と豚肉だから鉄板である。

 大串潤児著『「銃後」の民衆経験 地域における翼賛運動』を読む。応召農家に対する勤労奉仕は結が機能していたことも書かれているが、全体主義の戦時下に相互扶助が機能していたのは面白い。しかし応召農家が増えるにつれ結や勤労奉仕で人的資源を捻出できなくなり、自力で繁忙期を乗り越えなければならなかったり、少年少女の勤労奉仕に田畑をかえってダメにされたりと時間がたつに連れてボロが出てくる。林業や漁業のようなスタンドアローンな一次産業はそもそも補充用員など成立しない。そもそも出征している時点で労力がマイナスなのだから当たり前のことではある。国防婦人会と愛国婦人会の二重の参加も負担になったようだ。軍需産業も盛んになり国も民意も農業ではなく中島飛行機や財閥系重工業に目を向けるようになる。となれば農村は空洞化する。日本の産業構造のいびつさもさかのぼると戦争が原因なのかもしれない。


2022/8/28

 大串潤児著『「銃後」の民衆経験 地域における翼賛運動』読了。大政翼賛文化活動で各地方に文化芸術が根付いたり、公衆衛生が整備された。ファッショ化のもと近代化が隅々まで行き届いたという歴史的現象でもある。なお、文化が深化すると当然反戦に傾くわけで、軍部から規制を受けたらしい。先日読んだアインシュタインとフロイトの『ひとはなぜ戦争をするのか』を思い出すなどした。

 かりんの歌会。20名を超える参加でZOOMも普通になってきた。哲学堂公園に行ったときの連作を載せてもらった号だ。孔子、老子、釈迦、イエス、ソクラテス、聖徳太子、達磨、ガンジーなどの像が並ぶ公園で、各聖人に憧れつつ、俗である現在に生きる自分の矜持もありつつ、敬いつつその先に立つ気持ちで巡ったことを思い出した。断片的にかつ微量だが聖人の著作に触れて文芸を追求しているという心持ちの連作を良く読んでいただき、勉強になる評を頂戴した。自分の評は少し勉強したからこの頃フェミニズム読みとかポストコロニアム読みとかしてしまうから良くない。これにエコクリティシズムとか、あとテリー・イーグルトンも勉強しないと。まったくまるで歌人だ。

 昼はキッチンクルミでビーフシチューを食べる。環境倫理学的にも動物福祉的にも柔らかいビーフはアウトなのだが、わかっているのだが、心身ともに疲弊しているとつい食べたくなってしまう。職場の食堂換算で七食分の値段。独身貴族でよかった。


2022/8/29

 先週頑張ったので今日はほぼ定時。すっかり秋めいてきた。世界では絶賛異常気象中らしいが地元はしっとりとした秋で大変詩的な気分になる(かといって秀歌がつくれるわけではない)。かねてから書こうと思っていた評論に取り組み始める。エコクリティシズム、結構筆が進んだ。明日も早く帰って進めるべし。


2022/8/30

 FM能楽堂で善竹彌五郎の芸を聴く。福の神、那須。