2022年9月の日記

 2022/9/1

 結社の月詠を書き上げる。若干手癖感があるが、自分の文体といえばいいか。

 葡萄をいただく。巨峰、の仲間か。酸味や香りがあってよい。

 評論進行。


2022/9/3

 井筒俊彦著『イスラーム文化 その根底にあるもの』読了。講演録なので読みやすい。葡萄を食べる。シャインマスカット。酸味がない品種。


2022/9/4

 二度寝したら知らないところで働いている夢をみた。昼休みコンビニに行こうとしたら軽く道に迷って坂道をかけおりたり、高架で線路を越えたりした。途中で同僚と思われる教育関係のひと、私は教員をしているらしい、教え子として夢に出演する学生時代の後輩が出てくる。夢の中で私はおかずパンと菓子パンを色とりどりに買いたかったのだ。

 岩田正論を書いている。今月末までに仕上がるかな。

 昼は山田うどんでカレーうどんを食べる。美味しかったけど古奈屋が一番かもしれない。

 映画『ルーザーズ』を観る。DCコミックの映画化作品でバットマンやスーパーマンと比べるとマイナーで地味だけど、思想も影もなく、勧善懲悪でサブマシンガンや突撃銃を連射するアメリカな感じが結構好き。

 葡萄を食べる。


2022/9/8

 鈴木大拙『一真実の世界』を読んでいる。イスラームの本のあとだと一真実とは絶対的一神教めいて聞こえるがそうではない。イヌイットが例に挙げられているが、農耕を社会の起源とするなら狩猟民族特有の“非社会”的なものは二ではなく一をなしている。ほろ酔いの心境も擬似的な一である。一方で西洋的な神と人という関係性は二である。まだ途中だが自我と対象の間に不可分な関係性が成立することが二なのだろう。残業続きで疲れてその後は寝てしまう。

 真桑瓜があったが虫に食われている。種だけいただき来年は庭で育てようと思う。

 ふと味噌ラーメンはどこで食べても美味しいことを思う。日本人は味噌汁で習慣付けられている舌と、スープを飲むという動きが土台にある。そのうえで豚汁や豚の味噌漬けでわかるように味噌と豚の相性と、その組み合わせの土着性が補強する。そしてだめ押しで野菜炒めが乗り、甘く旨味のあるエキスが全体に行き渡る。どこでも美味しいということから、もしかすると味噌ラーメンという神がいて、人間は味噌ラーメンの神の指令で味噌ラーメンを作らされているのかもしれない。世界的に有名な空飛ぶスパゲッティモンスター教の亜種かもしれない。

 pilotの万年筆インク350ミリリットルを取り寄せする。ポン酢のボトルのサイズにインクが入っている大容量なもの。一年はインクを買わなくて済みそうだ。


2022/9/10

 柿木信之『ヴァルター・ベンジャミン 闇を歩く批評』を読み始める。これは文芸学にもつながるからブログに感想を書こうか。

 山田うどんが秋メニューになっている。黒舞茸なるものが美味しかった。日本の文化や経済が衰退するなかで大衆グルメの美味しさはぎりぎり守られる気がする。


2022/9/11

 読書継続。評論も継続。継続はしんどいときがあるが、続けなければ終わらない。柿木信之『ヴァルター・ベンジャミン 闇を歩く批評』はブログに上げた。まとめると理解できるところがある。文芸批評などはもう少し本を読んで勉強しよう。短歌もだいぶまとまってきた。そろそろ歌壇賞に出そうかしら。


2022/9/12

 生業で初めてインタビューなるものを受ける。社会福祉については専門家として語れる立場にあるし、仕事中は熱意はあるが俯瞰すると人生において圧倒的に文学が占める割合が大きい。

 評論進行。疲労で少ししか進まない。今週末には新たな文芸批評の本がくるはず。


2022/9/17

 ヴォルフガング・カイザー著『言語芸術作品 文芸学入門』を読み始める。文芸学の教科書のような構成。

 近くの気になっていたレストラン万葉の詩でランチをする。レモンオイルベースで鶏と青菜のパスタを食べる。アクアパッツァも美味しい。


2022/9/20

 すっかり日記の更新を忘れていた。疲労で更新できない日もあれば、楽しい三連休で更新できないということもある。先日は中野の知る人ぞ知るイタリアンでポルチーニ茸の載ったパスタをたんまり食べて秋を満喫した。

 9/18は久しぶりの対面での歌会。中野サンプラザで直接対面し歌について議論するというのはやっている感があっていい。韻律、字余りについて意見があったが指を折って音数を数える派の人もいるが、音節で考えるというのもある。個人的には後者のほうが文学的でいいと思う。


2022/9/23

 無料低額診療の研究フォーラムに出る。座長は統計化して論文にまとめたいらしい。都道府県ごとに統計化はしているんだよなぁと思いつつ、あと事例検討についても見落とされている制度があったりとモヤっとした。まぁ筆者も一応、その道ではプロで職長でもあるので、専門分野ではある程度万能でなければならず、研究会等でハッとするようではいけないのである。

 S・K・ランガー著『シンボルの哲学 理性,祭礼,芸術のシンボル試論』を読む。アメリカにおける記号論の発展に貢献した古典とのこと、読みやすく記号論入門にはもってこいだ。

 下村光男遺歌集『海山』を読む。遺歌集はうたびとの生きざまが色濃くでる気がする。死は生涯の完成と誰かが言っていたが、完成して生涯を閉じたい。


2022/9/25

 オンライン歌会で司会だった。司会だからあまり語ってはいけないが、東京はそもそも山で云々と語ってしまった。


2022/9/28

 昨日から栗木京子歌集『新しき過去』を読んでいる。読みごたえのある歌集でまだ二周目だが読み足りない。


2022/9/29

 生業の連携協議会。何か小さくとも間接的にでも日本の医療福祉のためになれればいい。

 帰宅してからキューピーコーワを飲むと疲労に悩まされることなく読書できることがわかる。

 『窪田空穂全歌集』を読みながらぽつぽつ作歌する。いいテキストを生むにはいいテキストに触れ続ける必要があると思うのだがいかに。


2022/9/30

 明日は半日仕事なので思いきって今日は有給を取った。医療従事者は有給取得率が低いことから、年5日の有給取得が推奨されているのでコンプライアンスでもある。

 航空公園で秋探しをする。空も木々も秋だしあちこちで金木犀が香っている。金木犀は人間が品種改良したのだろうか、それとも元からなのだろうか。元からならなのだとしたら、ダーウィンではなく神が生物を創った説を信じたくなるほどの香りである。金木犀の香りを移した中国酒があったがちびりちびりとしたい季節である。中野で飲める。

 評論はほぼ書けた。流石に半年近く準備していたから構想もできていたし着手すれば早い。