2022年11月の日記

 2022/11/1

 庭師の方にだいぶ庭木を剪定してもらう。両祖父は庭木をぎっしり埋めるのが好きだったらしく鬱蒼としていたが、少しすいてもらった。いまはムラサキシキブ、ツワブキ、アメジストセージが咲いている。墓参する。徐々に彼岸に家族が増えていくが自分の名前ももう赤い字でいれてしまおうかと思ったりする。このまま独身で私が死んだら最後に誰が線香を墓に手向けるのだろう。昼は万葉の詩という創作イタリアンを楽しむ。アクアパッツアが絶品だが今日はビーフシチューにする。かりん前月号鑑賞を書き始める。引用歌は事前に選出していたので筆が早い。明日は小春日和らしい。乗り越えて明後日の休みに突入したい。


2022/11/3

 小春日和で庭に出ると心地よい。モンキチョウや蜂が飛び通ういい日取り。石蕗の花は秋の昆虫の需要を満たすらしい。挿し木にしていた槇が根付いたので鉢に植え、新たにまた槇のひこばえを挿し木にする。

 久しぶりに菊富という地元のとんかつ屋にいく。

 航空公園は家族連れが車で殺到し違反駐車も列になっている。全部罰金をとり市民サービスに還元するなどすればいいものを。

 水星の魔女を視聴する。ディランザは結構好きだ。高機動型ザク、ドム、リックディアスと脚部にスカートがあったりホバー走行する機体が心に刺さる。


2022/11/5

 昨晩は何故か歌が一気に十首できた。作品自体も発表前には多少推敲は必要なものの内容的にはいい気がする。文学批評について考える。大学、院と文学や哲学をしている人には到底歯が立たず、本を読んでもちゃんと分かるのには大分時間がかかりそうだ。一方でオープンな環境批評や生業と若干関連している脱帝国主義批評は比較的に理解が進んでいる気がする。

 昼は山田うどん。パンチというもつ煮込みが美味しい。露地物で蜜柑と椎茸を買う。

 原稿脱稿。


2022/11/13

 昨日は山田うどんで肉汁うどんを食べ、マッサージに行き、マウンテンデューを飲んだ。そして本日は友季亭で肉汁うどんを食べた。どちらもそれぞれ美味しい。ジョン・ロールズの『万民の法』を読み始める。政治的リベラルな国家や民衆が良心をもって平和でウェルビーイングなグローバル世界を形成するというもの。法というだけありいわゆる無法国家や、資源や文化が脆弱な国家にも視点が配られている。本書を読むとどうやらウクライナ情勢は万民の法に乗っ取った戦争ではあるが、ロールズは是とするのだろうか。


2022/11/14

 ジョン・ロールズ『万民の法』読了。そういえば大学院のズームでのオープンキャンパスに先日参加したが悩む。現在の活動が大学院の学びに近い。


2022/11/19

 岩波書店「思想」(二〇二二・十一)の特集は環境人文学だ。環境人文学において詩学は思想というか在り方のような使われ方をする。生きていることや存在を言葉で表現したものが詩で、二次元で表現したものが絵画ということか。「たかりの思想」も面白かった。人間の体内、体表に生息する細菌をかき集めると一キログラムにもなる。細胞の数なら人間の体細胞を超えるという。つまり人間は無数の細胞に集られている状態であるという。カマキリがツリガネムシに最期は脳神経を操られて水のなかに落下して死ぬように、人間も細胞に操られているか生かされているかしているのかもしれない。とりあえず念入りに身体を洗い、歯磨きをしようと思った。

 ハルオ・シラネ著『四季の創造 日本文化と自然観の系譜』読了。万葉集(とその背後の大陸の自然観)をはじめとした和歌から茶道や伝統工芸、園芸などを通じて四季や自然観を深めてきた日本人だが、それは手付かずの自然である一次的自然ではなく、人が管理、掌握している二次的自然であった。庶民は山林の開拓や野性動物から作物を守るために一次的自然に合間見えていたが、文化が庶民に浸透してきた中世にはいわゆる里山が形成され、二次的自然を愛でるようになっていた等々。

 ニック・ランド『絶滅への渇望』を読み始める。ヘビーな本だ。

 昼は山田うどんで五目鍋焼うどんを食べる。海老天、餅、蒲鉾、葱と嬉しくなる具材で温まる一品。猫舌なのでセットでつけたミニパンチ丼を食べながら冷まして食べた。口のなかの火傷には注意されたし。小春日和の青い空と食後の余韻が合う。遠くには秩父山脈、少し歩くと柳瀬川のせせらぎが聴こえる。鴉は結構遠くでお互い呼びあっている。空には行き止まりがないから鴉の視野は広く半球型だと思う。これだけいい日だと歌も数首できる。


2022/11/20

 かりんの歌会。新宿サブナードにあったカフェオレ・ハイチが中野にあることを知り、ドライカレーとカリビアンカレーを食べる。カレーは二人前くらいは軽く行けてしまう。歌会は新会員の若手も来ており時間の流れを感じた。


2022/11/24

 「思想」(二〇二二・十〇/岩波書店)の特集マルチスピーシーズ人類学を読む。ポストヒューマンは興味深い。環境人文学の下位概念でもあるはずだが、学問の発生が別ルートだからか別に論じられることが多い。しかし、双方の論を読むと専門用語や視点に共通点がある。人間以外の民俗史研究を読むと自分も何かの精霊になったかのようである。人間は面倒な思考と社会、習性をもつので心底辟易することがある。


2022/11/26

 先日、久々に地域ケア会議に出る。クリティカルソーシャルワークにおいては介護保険のケアマネジメントや自助は社会保障費の削減の役割もあり、ソーシャルワーカーはその一端を担っているという批判がある。以前の措置的な社会事業は、準市場や自己決定という表皮をもちつつ、よく生きることや、一定の制限のある多様性が権力と結び付きながら根強く生き残っているように思う。何人のソーシャルワーカーがそれに自覚的なのだろうか。また、委託費や介護報酬、診療報酬から生活の糧を得ているソーシャルワーカーが脱構築したような実践ができるだろうか。とはいえ現実問題やらなければという理屈はわかりつつも、刹那的な判断が重んじられる現場から離れたところにこの学問の面白さがある気がする。

 『山崎方代全歌集』と向き合う日。方代は遍歴、歌歴、その後の読まれ方など独特な歌人だ。方代と向き合う機会を与えてくださった方々のことを思う。

  雪ばんばあ踊れる路地のポストに不在証明のハガキを落す 山崎方代『こおろぎ』

 訳あって引用しない歌のなかにもいい歌がたくさんあり語るに尽きない。雪ばんばあという土俗的な踊りに没頭して、漂泊に拍車をかけるように自己が消えていくような気がしている。上句は映像的なので歌がイメージしやすく、上手いと思う。それを不在証明のハガキという社会性のある行動に落とすあたりにギャップがある。方代の時代では西行や芭蕉のように隠遁はできないのだ。

 昼はイタリアンで周という店に行く。地元の里山の景観を堪能しながら、秋刀魚のプッタネスカを食べる。窓側の席が気持ちよくまだ芒もふさふさしている。自宅に帰り庭の草も抜く。草抜き鎌なるものがあり大変役に立つ。午後はかりんのオンライン歌会。


2022/11/27

 お能の会。喜多流自主公演で白楽天と龍田。白楽天こと白居易が日本の知は幾ばくか視察に来たら、海上で住吉明神が扮する漁夫が迎い討つ?という能。詩人に神が対峙するなんてfateのような展開。馬場先生もいらしていて、ちょこちょこ丸地さんも話に出ているんだと励ましてくれたけど、微妙に心配されているような雰囲気もある。何れにせよ見守ってくれていてありがたいのと、心配かけないように頑張らねばと思う。その後香港園でお食事会。絶品。

 春日いづみ歌集『地球見』読了。方代も読まなくては。


2022/11/28

 休日が充実すると月曜は自分が何者か見失う。