鈴木加成太歌集『うすがみの銀河』を読む

   あきかぜのプールの底は鍵・銀貨・みなみのかんむり座などが沈み


 どこかで第一歌集は作者の性質を強く表すという評論を読んだ覚えがある。第一歌集に限らず、初期作品は作者の性質を強く表すとすれば引用歌はまさに鈴木の言葉の感性を感じる一首だ。あとがきを読むと鈴木が十七歳ぐらいの作品だということがわかる。秋のプールは役目を終え静かに落ち葉などを浮かべているのだろう。気候的に藻などもなく水も透明だと思う。空気もからっとしていて爽快な気分でプールのそばを何気なく歩くと、われの知らないところで、鍵、銀貨、みなみのかんむり座が沈んでいるという。どれも水に沈む重みがあり、光沢もある。沈んでいるそれらは一度持ち主の手を離れたら忘れられがちである。鈴木は三つの素材の共通点をたどりながら星座までいきつく。本当の星座が沈んでいるのであるという奇想として読んでも面白いし、たとえば沈んでいるものが他にもあって星座を成しているという風景を想像しても歌の美的な世界を損なうことはないし、連想事態が星座のような軌跡を描いているという読みも深読みながら成立するだろう。また、秋の日の光でさも銀の品々が沈んでいるかのごとくプールの水面が光沢を帯びて揺れているという景色も思い浮かべることができる。言葉の選択の妙がこの歌の眼目だが、鑑賞が尽きないほど魅力がある。


  冬の薔薇浸せる水がうっすらとオフェリアの体温にちかづく

  地下書庫の扉を押せば古い闇がガガーリンと音をたてて閉まりぬ


 オフェリアやガガーリンという名前をさらっと出しつつも理屈っぽくならないのも特徴的だ。ジョン・エヴァレット・ミレーの描いた『オフィーリア』は花とともに川に浸かっている絵画で、この一首を読んで多くのひとがその絵を想起するだろう。オフェリアを薔薇と結びつけた力業をみることができる。〈うっすらと〉と一語いれると歌がゆったりとし、歌が理知的になりすぎない。冬の薔薇やオフェリアという強い言葉だけではなく、うっすらとというゆったりとしつつも繊細な言葉も必要に応じて斡旋することができる。次の歌は人類初の宇宙飛行士ユーリィ・ガガーリンの名が扉を閉める擬音語として使われておりユーモラスである。擬音語としてもガガーリンが登場すると地下書庫が宇宙めいてくる。宇宙には最先端の科学をもってして人類は進出しているが、宇宙自体は太古からあるものである。そう考えると古い闇と宇宙の組み合わせは絶妙というべきだ。


  仕送りに母がしのばす切り紙のもみじに残るうすい下書き

  手花火をまっすぐに持つやくそくは宵闇の祖父に教えられたり


 初期の歌は繊細な言語感覚や感性が読みとれるのだが内向的でもある。歌集は編年体をとっており、読み進めるうちに輪郭のくっきりとした他者が読まれる。一首目は切り紙のもみじ、その下書きと具体的な手触りのある歌。切り紙をしのばせようと思った母の気持ちや、切り紙を作っているときの母の様子がこの歌の背景に読みとれる。二首目は前後の歌から祖父はシベリア抑留者だったこと、リベラルな思想の持ち主だったことが読みとれる。作中主体に比べると戦争を経験し明確な思想ももっている。その剛直さは孫に対してはやわらかく、手花火をまっすぐに持つこととして伝わる。そして、祖父を通じてやくそくとして主体のなかに生きている。歌のなかで時代が経て、人々や思想が内包していくような感覚をもつ。


  蟬の死期ちかづく晩夏 残業に慣れてまづしき無理かさねをり

  老いてひとに警備のしごと残るとふ靴音おもき夜の防人


 残業に人生における時間を費やすことを蟬と表現した。また、残業をただ厭うのではなくまづしき無理という表現に鈴木の思慮深さがみられる。次の歌は哀愁があり本歌集のなかでは珍しい詠い方である。社会性を持たせつつ下句で詩的に処理し俗に流れないようにしている。ここにみられる鈴木の詩性は高踏派なわけではなく、現実を認識したうえで相対的に立ち上げる、ある意味リアリズム的な要素があることがこの歌を通してわかる。


  なで斬りの世の血まつりの後ろより来て濡れかかるさんさ時雨か

  加賀の国に夜の雪ありて黒羊羮「玄」ありといふ。夜笹寒笹


 〈さんさ時雨〉は江戸情緒のある言葉で浮世絵的な景色を思わせる。なで斬りの世の血まつりのと展開していくのは謡の韻律だ。次の歌も四句目まで羊羮と加賀の風土性が雪夜の景色を彩っている。独立した結句の配置は映像的な効果がある。時代や風土に根差した抒情は映像など具体性を帯びないと読者に喚起することは難しいが、本歌集は言語的感性でそれを可能にしている。言葉の先に見え隠れする私性、つまり知情意、そして主題に読みがたどり着いたとき本歌集の魅力はさらに深まるのだろう。

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