永田紅歌集『いま二センチ』を読む

職業生活、私生活、現代社会に生きる多くの人にとっては交互に訪れる時間である。それらを両立、補完しながら日々は過ぎていく。本歌集はどちらも生き生きと描かれており、永田にとってどちらも価値があるということがわかる。

  水道を流しっぱなしの音ひびく研究室《ラボ》の夜更けは海につながる

 実験の関係で水道を流しっぱなしにしている夜更けの研究室の少し気怠く時間が延びていく雰囲気が出ている。そんなときだからこそ水の循環等に思いが及び、遠く離れた海を思い浮かべるのだろう。

  申請書書けば繋がる何年かアケボノスギの透き通りたり

 申請書は科研費等の申請書だろう。今日の研究職の在り方という感じがする。この歌は現状に対して批判ではなく嘆息にとどまり、むしろ人間よりも長い時間を過ごすアケボノスギに転じている。批判ではなく時間や樹木という自然に目を向けるところが歌である。

  スリッパを履き替えドアを三つ開けまるく眠れるネズミ選びぬ

 本歌集は猫やネズミなど動物が頻繁に登場する。ネズミは実験用のマウスだが、〈まるく眠れる〉や、マウスとではなくネズミと詠うところに動物の愛らしさを見出している。過度に実験に使われるのはかわいそうなど感情移入しないところに研究者としてのわれが立っている。

  母の歌の前庭にわれら日を浴びてまだ本当のさびしさを知らず

  私の監修のもと父の初ビーフシチューは出来上がりたり

 父母が歌人ということを踏まえて読むと一層面白く読める歌がある。一首目は河野裕子の家族詠を読んで、まだ母の死に立ち会う前の場面だと思う歌。思い出の鮮やかさが前庭に表れており、現在と過去が交錯している。三首目は監修というところが面白い。この歌も作者やその家族の背景を踏まえて読むと面白い。

  実験を止《と》めて破棄する細胞はヒト胎児腎臓由来なれども

  安静の合間にプレゼンいくつかをこなして次のポストを得たり

 歌集名からもわかるとおり、妊娠の歌、子の歌が本歌集の主題である。直接的に身体的な感覚を詠うのではなく、普段以上にヒト胎児腎臓由来の細胞を破棄することに感情を呼び起こされたり、産前の休暇で仕事の席を空けるときに、自分のポストを確保するために在宅で仕事をしたりと、社会性を帯びている部分を冷静に詠っている。あえて冷静でいよう、ありたいとするがゆえに抑制的に詠われたのかもしれない。

  ムーニーはパンパースより柔らかくメリーズより可愛くグーンより安し

  数か月ピペットマンを持たぬ掌《て》にときどき握る形をさせぬ

 育児の歌にも同様の傾向がみられるが、オムツを各メーカーで比較分析し歌にするのは面白い。自然科学系の研究は仮説検証の連続という印象があるが、オムツもまた然りということなのだろう。ピペットマンの歌からは育休の時間と同じく大切な研究者としての職業生活があり、どちらにも重きを置く主題が込められているように思えた。