大松達知歌集『ばんじろう』を読む

   にっぽんの津でも浦でもないところかつて二百円借りた交番

  とおくとおくキリマンジャロを望むためヒトは直立したという説


 物語がある歌が印象に残る。津、浦は歌枕のことで、古典和歌は歌枕で過去の名歌の抒情を引用していた。この歌はそのような正典的はないが、二百円借りた交番に思い入れがあるという。歌枕を引き合いに出すことは照れ隠しやユーモアだけではない、そして正典ではないが、過去の物語を否定するものでもない。主体にとっての「かつて」に何か物語が秘められているのだろう。二首目は人類学や進化学めいた説である。キリマンジャロという標高と、そのためにヒトは直立し道具を使い、文明を築いたという進歩史観は高みを目指すというところで一致している。主体はその説に対してどのような立ち位置なのか。「説」の体言止めからどことなく説得力や魅力を感じつつも、あくまで説として判断を留保しているようである。二首とも日常の場面でありながらも物語、それも主体の頭の中の物語で、それを楽しむことで歌にしている。


  教員に言われたらそりゃ嫌だろう手駒のように持っている言葉


 ときに教員は生徒を指導しなければならない。指導といっても指し示し導くと書くだけあって生徒にとっては耳が痛いことも、反発したくなることもあるだろう。主体は言葉を手駒に喩えて上手く駒を運んでいくのだが、そのなかに「教員に言われたら」嫌な駒があるという。示唆、否応なく、ぐうの音も出ないような言葉がそれに当たりそうだが、棋士のような冷静さで言葉を選択し発することになる。その自分をメタ的に眺め、「教員に言われたらそりゃ嫌だろう」の次にくる言葉は詠まれていないが、「だって自分も言われたら嫌だもの」だろう。職場の歌は物語性がありつつも、その物語と現実の葛藤がみられる。


  ふとももに子のふとももを乗せて読む永遠なんてたぶん三分

  うみかぜは海のことばを伝えおり幼子ひとり走り出したり

  八歳のむすめにわかに寡黙なり佐喜眞《さきま》美術館〈沖縄戦の図〉


 子の歌のもつ物語には切実さがある。一首目は幼い子との時間が永遠に続けばいいと思ったが、その永遠は三分ほどであると時間の儚さにすぐに気づいてしまう。上句が素朴な父の愛情で、下句が歌人としてのクリティカルさだが、永遠から三分へ至るのが早い。時間はそれだけ儚いものだということを知っているのである。二、三首目は沖縄と子が主題になっている。三首目で沖縄戦、そしてその後の大和からのヘゲモニーも含まれるのであろう現実と、八歳の子が〈沖縄戦の図〉を通じて対峙する。その現実に至る前の二首目で海と子の交歓が描かれている。「海のことば」はそのまま海の美しさとして読むのが順当だが、オモロのように沖縄に生きてきた人々の歌なのかもしれないと読むのも迎えすぎではないだろう。子は奇しくも歌のなかで沖縄と主体、主題と読者を媒介しているようである。歌に共感し、つい入り込んでしまう。


  紅生姜したたりながら〈並〉を食う脊髄を破壊するのがだいじ


 飲食の歌でとりわけ食肉の歌は意図的な生々しい表現がみられる。肉牛と脊髄となるとアメリカ牛の牛海綿状脳症(BSE)の輸入規制問題が想起される。食肉加工の過程で、牛海綿状脳症の病変の疑いがある脊髄を除去することが不徹底だったため食の安全が脅かされるとし、日本政府は輸入を中断、アメリカは処理の安全性を担保し輸入の再開を要望したという事件で、話題になってかれこれ二十年以上が経過している。歌に戻るとそのアメリカ牛の輸入規制で大きな影響を受けたのが牛丼チェーンである。主体は牛丼を食べながらBSEを思い出し、「脊髄を破壊する」ことについて食肉の処理ではなく、生物に行われる所業として異様さがあることに思い至る。そして、その異様さを経た牛丼を食べている異様さにも気づくのである。さながら埴谷雄高『死霊』で過去に食べた魚や米粒の霊が糾弾してくるような異様さである。上句からその『死霊』的世界は始まっており、紅生姜を敢えて「したた」ると描写したのは血の暗喩であろう。


  パラオ語のツカレナオスはビール飲むことそんなこと聞いている部屋


 「ツカレナオス」に敢えて漢字をあてると疲れ治すだろう。日本の兵士がビールを飲むと疲れが治るとパラオの人々に話したことが定着し、ここにも第一次世界大戦後の日本の帝国主義や、ペリリューの戦いを想起せざるを得ない。一方でビールを飲んで疲れを癒すのは現代日本のサラリーマンに通じるところがある。歴史的な重みだけではなく、サラリーマンの悲哀的な軽みもある。大松は重いものや苦いものを抱きつつ、それらをずらしたり外したりすることを試みながら今の時代を詠っているように思える。「ツカレナオス」の歌はパラオに“実用的な”日本語が定着した背景を考えると、戦争の歴史に向き合わざるを得ないが、ことツカレナオスはとても魅力的な言葉だ。当時のパラオの人々も共感したに違いない。その共感に何か光を感じ、その光はこの歌集の随所にみられる。