良心のささやかさー窪田空穂の歌よりー

 許さるる限りは軍服著ずといひてさみしく笑ふ士官のありしを 窪田空穂『さざれ水』

 

 昭和七年の作品とある。この年は満洲国が建国され、五年後に日中戦争が勃発する年である。例えば上海はパスポート不要で出入りできる港で、西洋と東洋が混在し歓楽街が立ち並ぶ魔都でもあり、そのエネルギーは近代小説でも多く取り入れられたことから、今以上に中国に対して心理的に近かったと推察できる。軍服については新宿にある平和祈念展示資料館で展示をみたことがあるが、まだ引用歌の時代の軍服は生地が厚い。太平洋戦争が開戦し劣勢に立たされてくると次第に記事が薄く粗末になってくる。ナショナリズムが高まり、戦争に関して楽観的な時代であっても、軍服をなるべく着ずにすませたいという士官に空穂は目を向ける。この「許さるる限りは」着ないという若干のまどろっこしさに社会の雰囲気があり、テキスト以上に重要だと思われる。「許さるる限りは軍服」を着ない態度を歌にするということは、社会的風潮・マジョリティのなかで士官は軍服を着るべきという考えがある。その風潮のなか着ないという判断をした士官は目を見張るということである。また、「許さるる限りは軍服」を着ない態度は完全なる異端ではない。少数派、または本音の部分で共感を呼ぶ態度なので歌と鑑賞が成立する。引用歌からみえてくるのは二重性である。二重性もいくつかの次元があり、ひとつは社会の中に内在する二重性でもある。もう一つは時代と個人の二重性である。空穂は士官という社会属性を詠みつつ、「さみしく笑ふ」と一人の人間自体を描いている。前者の二重性も大切だが、後者の二重性に空穂は感情を動かされたように思える。いずれの二重性にせよ大きな時代のうねりに個人が翻弄され、当人は「さみしく笑ふ」しかできない。困惑をしつつ相手に悟らせまいとする笑いは、時代の奔流のなかでできる人間の美徳のひとつだろう。しかし、その良識がささやかさだったゆえに日本が帝国主義、全体主義に進んでいくことの歯止めにならなかった側面もある。大きな声に付和雷同してしまい、良識は息をひそめてしまうことは当時の時代の感覚を加味すると歴史的必然性として理解はでき、士官のさみしい笑いも歌としては印象深い。しかし、今改めてこの歌を読むと、歌に内在する二重性から当時の大衆心理や、全体主義に到る構図もみえてくる。どこか現代の状況を示唆しているように思えるのである。