ゼロから考える震災詠(「かりん 40周年記念号」(二〇一八・五)所収)

 平成が終わろうとしている。二〇一一年三月十一日の東日本大震災は、死者15,859人,行方不明者3,021人(二〇一二年五月三十日警察庁発表)もの人的被害、福島第一原子力発電所事故を引き起こした。被災地外でも輪番停電や、映像による不安感が生活を脅かし、平成いう一時代の後半に暗い影を落とした。非現実的な状況を目の当たりにし、ある歌人は言葉を失ったと語り、またある歌人は歌を作らずにはいられなかったと語る。多くの座談会や特集が組まれているのにも関わらず、震災詠において検証がまだ足りなく思う。それはなぜなのか。

  一滴の水のありがたさ震えつつ先ずひと口の水を飲みたり 伊良部喜代子「かりん」二〇一一年五月号

  被災地に三日を任務と働く二男我が家に戻れば大声に泣く 森川冨士代 「かりん」二〇一一年六月号


他の県のパトカー数台警らするこころ病みたるわれらの町を 上石隆明「かりん」二〇一一年八月号

 震災後、被災地域の歌人たちは時事詠的に作品を発表していく。伊良部は仙台市在住で、引用歌は五月号に発表されたので、歌稿の送付と掲載の時間を考えると、震災直後の歌である。震災のショッキングな映像が強く印象に残っているが、は生き抜くためのライフラインが止まり、絞り出すように生まれた歌である。森川の歌は事実そのものを詠っているのだが、言葉なくただ大声に泣くという描写が、震災の言葉にならない悲惨さを物語っている。上石は郡山市在住で、被災地はPTSDや、精神疾患だけではなく、全体的に沈鬱なムードが漂っており、その中を見慣れぬパトカーが警らするという異常な感覚を詠っている。「かりん」二〇一一年五月号の時評で大井学が、震災という厳しい現実と表現の葛藤について論じているが、終いに時事詠としての短歌は記録性生きる場面であるが、この作品には我=「表現者」が居るのかと問題提起している。その表現者としての我がどこか醒めた部分が必要であるが、圧倒的な現実の前にはそれすら危ういことも認めている。先の引用歌でも、時間が経つにつれ、問題が顕在化していき歌も社会性が増していく。

しんねりと発酵すすむ味噌蔵は封鎖の春の相馬のかたすみ 大井学『サンクチュアリ』

連翹の枝を挿すなり父祖の土地の放射線量を測るかわりに 齋藤芳生『湖水の南』

 大井は〈うつし絵は鴨居に並びきわが父祖等家ごと海にながれ帰りき〉とあるように、福島に所縁があるようだ。出自や個人史が父祖等の写真に象徴されており、津波によって流されてしまうのだが、うつし絵が現世に掛かっており、津波により全てが流されてしまった現実が目に浮かぶ。引用歌は、原発の無機質で、廃墟じみている景と、味噌蔵の対比が印象的である。会津味噌は有名で、江戸時代以前から味噌業は盛んだったらしく、味噌蔵は福島の風土そのものである。味噌蔵は福島の風土の換喩で、人知れず息づいている福島の息遣いを暗示している。齋藤は福島県福島市生れで、『湖水の南』には多く故郷である福島が詠われている。齋藤は震災に対する嘆きや、原発事故に対するアジテーションを安易にせず、二首目のように傷ついてしまった自らの故郷に花を手向ける。松平盟子は「かりん」二〇一五年一月号の書評で過去と現在が交差し、震災の前後が対比され、故郷の歴史を背景に祖父母をめぐる個人史が物語として立ち上がることを指摘している。齋藤の意識のなかでは、個人史的なものと故郷の歴史・風土は分かちがたく、同一地平上に複雑に絡まり、衝突しながら存在しているように思える。大井作品にも同様な絡まりは見られ、震災による被害は全人的な喪失で、歴史や風土によって拡張しながら作品として発表したといえる。


  壁面の校歌の文字盤「くびるに」「手をつ□□」「輪つくれ」飛び飛びに読める 佐藤通雅『昔話 むがすこ』

  村一番の俊足も波に攫はれて安否不明者の1行となる 大口玲子『トリサンナイタ』

  どっち向き?あいつが死んだの海だから東じゃねえ?と黙禱をする 佐藤涼子『Midnight Sun


 佐藤通雅は宮城県仙台市在住で自らも被災者である。『昔話 むがすこ』には多くの震災詠が収められている。〈ケータイの無料充電所にゼンソクの子は屈む呼吸器を作動させんと〉など、当事者の視点での作品は記録性が高くケータイの無料充電所という文明の利器を維持する設備と、生死に関わるゼンソクの子が対比されて、被災地の生活の厳しさが伝わってくる。引用歌は、生徒・教員で犠牲者が出た石巻市立大川小学校を題材にした歌で、校歌の文字盤が震災によりはがれている様子が視覚的に表現されている。は視覚的効果だけではなく、読む際に一瞬一瞬沈黙が生まれ不気味さも漂う。大口はあとがきで仙台から宮崎に移住したと書かれており、自らの決断に伴う葛藤を歌にした〈なぜ避難したかと問はれ『子が大事』と答へてまた誰かを傷つけて〉は座談会や評論でもたびたび引用されている。本稿での引用作品は連作「消息」からで、詞書に「田()河原(がはら)誠(45)。岩手県田野畑村島(しまの)(こし)在住。津波の知らせを受け、消防団として仕事をしていたという。」とあり、連作中の他の歌にも同様に題材の人物についての詳細が詞書として記載されている。そのときに作品は詞書によって記録性を帯び、詞書により作品から現実に引き戻される感覚を覚える。一首一首に添えられる詞書を表現の観点からみると、短歌の定型から溢れているものとして考えられ、従来の詞書より意図を感じる。佐藤涼子は宮城県仙台市在住で、『Midnight Sun』には震災詠が多く収められている。佐藤涼子は若い感性で震災と向き合っており、引用歌は少年が亡くなった友人を偲び黙祷をする場面だが、話し言葉から少年の明るさが伝わるが、悲惨な現実である。

 ここまで当事者性の高い作品について考察してきたが、佐藤通雅、大口、佐藤涼子はそれぞれ当事者であり、詳細は後述するが、震災詠におけるレトリックに対して違和感があるという言説があるが、先の引用歌それぞれに表現上の工夫がなされている。大井、齋藤は福島を内面化し、風土と個人史を交錯させながら、時間的、空間的な広がりを持たせながら作品を発表している。「歌壇」二〇一六年三月号の座談会で本田和弘は〈汚染され除染されそして放棄されなほ生きをらむ咎なき土は 伊藤一彦『土と人と星』〉を引用して、震災で人だけではなく、自然そのもの、鳥や花や空気も被害を受けた存在で、大きな視野で震災を捉えていると評しているが、大井、齋藤の作品はそれ以上に風土や自然を含んだ視点が強く表現されている。震災の被害に対して喪失感や悲しみなど内面から歌を立ち上げる方向と、風土や社会などの外面に向かう方向があるならば、かりんの歌人は、後者の方向を持っている。そして、個人史とその方向が結びつくことで、抒情が弱くならず、大きな視点を自らに引き受けることができるのであろう。


  アトムもしあらば福島すくひけむ原子力モーターしづかに回し 坂井修一『青眼白眼』

  いのちとおもふ舞台をわれはおほなゐの揺れに奪ひき役者きみから 松本典子『裸眼で触れる』


 坂井は時間が経つにつれ原発事故の全容が徐々にあきらかになるなか、原発に対して思いを巡らしていく。引用歌ではアトムを通じて原発に触れる。アトムは原子力で動いている。鉄腕アトムだけではなく機動戦士ガンダムなどのロボットアニメではしばしば原子力が動力源のロボットが登場するが、かつて原子力は夢のエネルギーという側面があったのだった。原子力を絶対悪と断ぜずに、人々はどのような認識であったのかを提示する。松本は劇場で勤務しているときに震災に遭遇する。その後、原発事故による輪番停電や自粛で劇場が閉鎖される。生理的欲求、安全欲求優先され、文化的な欲求は後回しにされてしまう世論が支配的であったのだろう。しかし、松本は引用歌のように、役者にとって舞台はかけがいのないものであると知っているゆえに、強い葛藤を生む。同連作内に〈さくら咲きわれは舞ふのみだれもみな代役のきかぬいのち生きゐて〉という歌もあり、世界に対し真摯に向き合い、美しいものを希求する作者が震災に向き合ったときに、閉口することなく葛藤ののち普遍的な抒情に到ったのであろう。


  海()()たべて海くさき海鞘あぢはひてなんにも言へずよそ人われは 小島ゆかり『馬上』

  明日はまた仕事があるので帰ります 電気に満ちた街に帰ります 吉川宏志『鳥の見しもの』


 小島は同歌集に、〈被災地を去る東京の人われは全席指定〈はやぶさ〉に乗る〉といった歌もあるように、被災地を詠いながらに、自分は去る人といった認識がある。「歌壇」二〇一六年三月号の座談会で小島は福島の方の話を聞き、全席指定の列車に帰る自分がいて、所詮自分は去る人だと、自分の心に突き刺さるような感じがしたと述べている。吉川は会社員としての視点から原発の問題に触れている。引用元の歌集には原発反対のデモの歌もあるが、小島同様に自宅に帰る人という認識がある。下句はアイロニーが効いていて切っ先は実は作中主体にも向いているのである。非当事者の歌を後半に挙げたが、ここでも、かりんの歌は先に述べたように、内面だけではなく、外面にも向かう方向を持っている。自らの文学の全振り幅をもって震災そのものだけではなく、その影響や、作者のなかでの位置づけを思いめぐらせて表現する意識があるように思える。

 〈われ〉の立ち位置は違うにせよ、表現に関しては当事者・非当事者に関して議論するほど差異を感じない。高木佳子は角川「短歌年鑑」二〇一三年版で震災詠の言説の問題点を震災詠にレトリックを駆使することへの違和感、作者が被災者に寄り添うような自己検閲、ある認識が権威化するおそれ、震災詠がどんな歌でも尊重されるべき要素が、作品によってその作者の人間性まで評価されるという危うさを指摘している。この問題提起の答えは現在でも定まった答えはない。では、震災とは短歌にとって何なのだろうか。ゲーテは『ゲーテとの対話』で詩歌は常に機会詩でなければならない。特別な事象が普遍的かつ詩的なものになるが、それはまさしく,詩人がそれを形作るからだと述べている。高木が問題提起した言説はどれも文学から離れている議論ように思える。震災という現実をどのように機会詩となしているかが、震災詠を読むことではないだろうか。震災詠の評論や座談会が数多く企画されているが、テーゼといえるほどの論はない。それは、作品から帰納的に論じているわけではなく、文学から離れた現実問題の論点から、演繹的に作品を論じているからである。本稿は当事者・非当事者で分けて震災詠の表現を考察してきたが、震災詠全般について思うことは作品からもう一度検証していく必要があるのではないかということだ。


(「かりん 40周年記念号」(二〇一八・五)所収)