空穂会報告記

 空穂系結社の歌人たちが集まって窪田空穂を顕彰する会、それが空穂会だ。近代歌人を顕彰する会は多いが、行きたくても結社・研究会外からだと躊躇われることがある。空穂会は筆者がそうした躊躇がなく参加できる近代歌人を顕彰する会。二〇二四年の空穂会はコロナ禍もあり七年ぶりの開催。四月三〇日にホテル・ルポール麹町で開催された。参加結社は「音」、「かりん」、「国民文学」、「濤声」、「富士」、「まひる野」、「沃野」。他にも空穂系結社はたくさんあるのだが、会員の高齢化や開催場所等、平日夕刻からという時間等、いろいろあり七結社の参加となったのだろう。しかしながら、空穂という歌人ひとりを起点に数社の結社が展開していき、ある文学性を持った歌が生まれる文学の営為というものを考えさせられる。

 第一部は馬場あき子、三枝浩樹、米川千嘉子の鼎談。「空穂を語る─『濁れる川』を中心に─」で第二部は懇親会という構成になっている。鼎談の歌集に触れる前に、空穂の生前のエピソードを聞くことができた。空穂が七〇歳のときに馬場は一九歳。刻み煙草と煙草盆をいつも傍らに置き、「お前は何もわかっちゃいないんだよ~」、「文芸はそんなもんじゃないんだよ~」と言っていたとのこと。好々爺を思わせる、ゆったりとした口調が空穂であることよ思った。三枝は島秋人と空穂の新聞選歌欄が一緒だったことを振り返った。どのエピソードもいまとなったら伝説のような出来事である。

 

  げにわれは我執の國の小さき王胸おびゆるに肩そびやかす

  つばくらめ飛ぶかと見れば消え去りて空あをあをとはるかなるかな

  思ひ立ちし今の心をたのむべしそを措《お》きてたのむもののなければ

  さみしさは君が生みたるうまし子ぞ母の強さをもてかき抱け

 

 一首目について三枝は、我執は生涯の主題で自らを憐れみあざ笑う目があり、自我に執する心は否定的に捉えている。しかし、そこから無私、去私に至るようなプラスに転じていると述べた。米川はそうした自我について、白秋、茂吉と違った出し方をしていることを指摘した。馬場は二、三首目の歌を引きながら、キリスト教的な背景があり、自分は神の産物、神の心が宿っている、それにしてもその心はどのようになっているのだろうという問いがあると述べた。空穂は牧水のような詠嘆ではなく、心の在り様を考えるということのようである。また、『濁れる川』という歌集自体に批判があるなかで、その批判を一度肯定し、自己を確認していく姿勢があると話した。四首目の歌について米川は、さみしさ弱さを抱いて否定をしない、じっと見ている、内省を深めているだけではなく、神が見る私という目があると空穂の歌と特長を述べた。

 懇親会も空穂について、だけではなく久々に顔を合わせ挨拶する様子がみてとれた。遺影の空穂も心なしか楽しそうだ。次回は来年。