川口慈子論 ピアノとウミウシのうた 「かりん」(二〇二〇・五)所収

   花びらが地に着くときの重さなど考えながら鍵盤を弾く      『世界はこの体一つ分』

枯れ葉踏み山鳩が二羽やって来る捕えれば鳴る心臓持って

手の平のウミウシ全身顔にして捕らわれたるをかなしんでいる

 

 二〇一七年八月に上梓された『世界はこの体一つ分』では身体感覚と音楽的感性が合わさった歌が多く収められていた。ピアニストである川口の素養であることは疑いのない感覚なのだが、それ以上に音や音楽とは何か問うような歌もみられる。一首目は楽曲の解釈や譜面について鍵盤以外のものをイメージしながら曲の雰囲気をつくっていく歌であり、ピアニストらしい歌である。二首目の山鳩が〈捕えれば鳴る心臓持って〉というのは聴覚的である。また、枯れ葉を踏む軽い音や、二羽というつがいをイメージさせるところに、山鳩の生き物としての儚さを音で感じるのである。栞文で梅内美華子が〈爪の上に乗って涙が震えてる私を一度離れたけれど〉という歌を引用して「自他を捉えるとき、世界の一部、身体の一部の感覚から探り覚醒してゆく、」と述べている。山鳩の歌も同じように聴覚から外の世界を捉え、聴覚的に覚醒していっている。『世界はこの体一つ分』の装丁はウミウシの斑点を意匠化したものなのだが、装丁も三首目の歌も川口は全身が感覚器官であるような敏感な感覚を持っているといえよう。

 

断りの言葉が底をついたからペコちゃんグレードの笑顔で応ず

正座して説法を聞くお尻より空豆に似て二つの足裏

花びらを川面いっぱいに浮かべたる大河のような我を抱けよ

セクシーな大根の姿真似てみる投資話に聞き耳立てて 「かりん」二〇一八・五

 

 繊細な感覚に依りながらも作品全体として読者を楽しませるような開けたユーモラスや、対極的なナルシストな私を詠うのが川口の作品の特長である。ペコちゃんグレードという下句が印象的だが、ペコちゃんというアンバランスな頭身のキャラクターを登場させて、ぎこちない作り笑いを演出している。花山周子が角川「短歌」(二〇一八・十)で〈耳よりも大きいキティのストラップ揺れて少女は突然泣いた〉を引きながらキティが分不相応な大きさに見え印象的と評したあとに、蜘蛛や蟾蜍などのグロテスクな生き物の歌に着目している。キティのあとに生き物に着目した花山の評のように、ペコちゃんも大きなキティも違和感のある存在というところで、蜘蛛や蟾蜍と地続きなのかもしれない。そうした感性は自身を戯画化するだけではなく外に向く。「正座して説法を聞く」歌は、寺で説法を聞いているときに前に座っている人の足をみて空豆に似ていると発見する歌だが、厳粛な雰囲気のなかで唐突さがある。グロテスクというのは元々異様な、奇怪なという意味で、ペコちゃん、蜘蛛、空豆の発想も根幹はつながっているのだ。一方で、花びらの歌は自己に陶酔した歌である。辻聡之は「かりん」(二〇一八・二)で「つまるところは、自分自身への信頼、自己肯定感があるからなのだと思う。」と前置きし、川口のナルシシズムに触れている。自らを花びらが一面に浮かぶ大河に喩えるような典雅なナルシシズムに反して、セクシーな大根の歌はユーモラスなナルシシズムである。大根脚という言い回しは昔からあるが、テレビやネットで大根の先が二股に割れて人間の脚のような形をしたものが珍しさゆえに取り上げられることがある。その二股の脚のような部分が脚を組むような形をしているとセクシーなのだ。この歌では私自身が大根になって、セクシーな大根のように脚を組んでいるのである。ナルシシズムと諧謔の間にあるのがこの歌であり、川口の独自の感性なのかもしれない。

 

鶏ガラと呼ばれた日々にさようなら白詰草の輪郭崩す 「かりん」二〇一九・九

「可愛い」に反対意見はいらぬなり三時鳩時計の鳩が鳴く     「かりん」一〇一九・一〇

 

 ナルシシズムと諧謔、生活と詩など読み方は様々にできるが、対極になると思われがちな抒情を一首で詠み、その広がりや意外性が面白い。鶏ガラの歌では〈白詰草の輪郭崩す〉というアンニュイな雰囲気と、鶏ガラという比喩の面白さが不思議と同居している。次の歌も少女らしい抒情からはいり、下句でどこか肩透かしをくらったようなオチがある。第一歌集でもナルシシズムと諧謔が融合しているという特徴があったが、新しい作品群のなかでも際立っている。川口のもう一つのライフワークであるピアノと関連付けて、先述の二律背反を絶対音感と不協和音として読み解くこともできる。しかし、グロテスクな生き物への共感や、ナルシシズムと諧謔の融合などを読み取っていくと、われの自意識は『世界はこの体一つ分』の装丁に用いられたビビットなウミウシのように、華やかで、全身に感覚器官をもつ繊細さを兼ね備えたものなのではないかと思わせられるのである。


「かりん」(二〇二〇・五)所収