島の娘は語ることができるか 沖縄文学としての松村由利子歌集『耳ふたひら』 「くくるす Vol.1」(二〇二二・五)所収

  時に応じて断ち落とされるパンの耳沖縄という耳の焦げ色 松村由利子『耳ふたひら』


 『耳ふたひら』のあとがきに二〇一〇年の春に沖縄の石垣島に移り住んだとある。前歌集『大女伝説』は二〇一〇年五月刊行なので、『耳ふたひら』からの作品が石垣島に定住した歌ということになる。石垣島、広く沖縄は薩摩藩の傀儡政権、琉球処分、沖縄戦、米軍政府の統治、本土復帰と歴史・政治的な状況をみるだけでも帝国主義に侵され続けている。その状況下に沖縄文学は生まれた。沖縄文学というと詩人の山之口貘や、米軍基地内の親善パーティ裏で少女が暴行を受けた事件を題材とし、芥川賞を受賞した大城立裕「カクテル・パーティー」など沖縄の人(ウチナーンチュ)の作品を想起する。大城貞俊は「「沖縄文学」の特異性と可能性」(二〇一八・三/沖縄文化研究)で沖縄文学を時代・内容・作者の要素で整理し、「時代は、沖縄県となった明治以降の文学作品のことをさす。内容は、作品に取り扱われる地域や題材のことを示し沖縄を舞台とした作品をさす。作者は、沖縄で生まれたか、もしくは沖縄に居住して活動している作者の作品とする。」と定義づけを行っている。この定義によると『耳ふたひら』以降の松村の作品は沖縄文学といえる。

 

南島の陽射し鋭く刺すようにヤマトと呼ばれ頰が強張る

島ごとに痛みはありて琉球も薩摩も嫌いまして大和は

 

 作品を読んでいくとポストコロニアルの視点があることに気づく。伊波普猷『琉球史の趨勢』(一九〇七・八/沖縄教育界にての演説)によると十五世紀に尚巴志が三山統一した際に本土との交流が長い沈黙から復帰し、日本と中国の文化が融合しオモロなどの文化が花開いたと解説している。一方で両帝国主義に挟まれる時代が以降続いてしまう。大和民族による侵略の歴史は長いのである。石垣島に移住したときに、自分が長い侵略の歴史を持つ大和民族としてみられていると気づく。そのとき沖縄の背負う悲惨な歴史が暑いをとおり越して痛い南島の陽射しのように降り注ぐのである。二首目は特有の視点がある。琉球でさえ薩摩に倣って、寛永十四年から明治三十六年までの二六〇年八重山諸島の住人から人頭税を徹底的に搾取していた。琉球から大和へと嫌悪の対象ごとに被支配の歴史が推移していくのである。歌集冒頭の連作にポストコロニアルな問題を提起する歌を据えており、南島の開放的な気分のある歌集という印象を読者に容易に与えない。

 

なぜ、僕がいまこのようなことを書くか。それは僕が沖縄にむかって旅だつ時、日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分はかえることはできないか、(略)現状がつづくかぎり、公的に本土の人間が、沖縄とそこに住む人間にたいして免罪符をあがなうことはできないし、まっとうな懺悔をおこないうるということもない。沖縄からの拒絶の声とは、そのようなにせの免罪符はもとより、べったりとからみついてくる懺悔の意志もまた、潔癖に峻否するところの声である。(略)琉球処分以後の近代、現代史にかぎっても、沖縄とそこに住む人間とに対する本土の日本人の観察と批評の積みかさねには、まことに大量の、意識的、無意識的とをとわぬ恥知らずな歪曲と錯誤がある。

 

 大江健三郎は『沖縄ノート』(一九七〇・九/岩波書店)に本土の人間の沖縄に対する意識をこう書いている。石垣島に定住し始めるときに松村が感じた違和感も大江のものに近いのではないだろうか。沖縄からの言外の拒絶の声を南島の陽射しに例え、琉球・薩摩・大和への嫌悪感も詠った。琉球と薩摩の先には大和があり、自分も大和の人間であるという意識が、大江のいう懺悔の意識も伴い主題性の強い連作を冒頭に置かせたと考えられる。

 

くっきりと光と影は地を分かち中間色のわれを許さず

言うなれば自由移民のわたくしがぎこちなく割く青いパパイヤ

 

 贖罪の意識が自分に向くときに厳しい自己規定が生じる。一首目は石垣島の気候である強い光と、くっきりとした影を描きつつ、支配被支配の歴史・民族という二項対立を暗喩している。〈われ〉は二項対立を知った上で石垣島に心を寄せるという決断をした。しかし、出自はあくまで“大和”の側である。そうしたダブルバインドを許されない状況を中間色と表現している。二首目は自由移民という言葉に歴史的な意味がある。かつて沖縄本島等から八重山諸島へ開拓のため契約移民という形で移住させられ、伝染病と戦うことになった痛ましい歴史がある。一方で自由移民は、〈わたくし〉のように自己決定で移住したひとを指す。自由移民は契約移民と歴史的に壁があると感じて青いパパイヤがうまく割けないのだ。

 

長き夏長き戦後を耐えてきて楽園なぞと呼ばれたくなし

ソメイヨシノの咲かない島の老若に散華教えし国ありしこと

不意打ちの雨も必ず上がるから島の娘は傘を持たない

 

 贖罪の意識や歴史的な痛みを直接詠んだ歌も見受けられる。一首目は長い夏と戦後を挙げている。〈夏〉は旅行者にとっては南国の陽気な気候に映るかもしれないが、台風や成長の早い雑草など暮らすには困難もある。〈戦後〉は各段と重みのある言葉だ。戦後二十七年間アメリカが統治し、沖縄本土復帰後も米軍基地が存在している沖縄を、楽園という皮肉にも聞こえる呼称をつける無神経さをストレートに詠っている。二首目は沖縄本土決戦を想起させる。日本とアメリカという二つの帝国に挟まれたのは島の老若という生活者なのだ。小さな慎ましやかな島の生活者には桜も銃もそぐわない。三首目の島の娘は受難の歴史を歩んできた沖縄を擬人化している。背景には「一食を与ふる者ぞ我が主也」ということわざや、琉球使節が琉球国王の印を捺した白紙の文書を持参し、日本と中国のどちらにも融通が利くようにした歴史が潜んでいる。そんな歴史的境遇のなかにも雨上がりの空の美しさや島の娘の健やかさを松村は詠いたかったのだ。そしてそれは娘でなければならない。なぜなら島は“女性”だからだ。

 

南島は濡れ濡れとして生まれたり破水のごとき朝のスコール

縦と横きっちり測り男らは世界の耳をまた切り落とす

 

 沖縄の司祭である“のろ”は女性である。聖地である御嶽は男性禁制でイザイホーと呼ばれる神事が行われていた。岡本太郎は『沖縄文化論 忘れられた日本』(一九九六・六/中央公論社)で御嶽について「何もないったって、そのなさ加減。(略)クバやマーニ(くろつぐ)がバサバサ茂っているけれど、とりたてて目につく神木らしいものもなし(略)ひどく殺風景になった。」、「神はこのように何にもない場所におりて来て、透明な空気の中で人間と向かいあうのだ。のろはそのとき神と人間のメディアムであり、また同時に人間意志の強力なチャンピオンである。」と述べている。南島は女性を中心とした神秘の場所なのである。一方で、大和や米国などの帝国はフェミニズム批評における“男性”である。二首目は、大和や米国の沖縄に対する覇権的態度の比喩でもあり、形式主義的に御嶽のような何もない空間をイコンや建屋などで区切る意識もある。大城の「カクテル・パーティー」を想起しても島は女性であり、“男性”に侵されたといえるだろう。松村は〈ヤマト〉であり、自由移民であり、不本意ながら“男性”側として石垣島に住み始めた。そして、ポストコロニアル・フェミニズム批評の視点をもち取材するなかでダブルバインドに苛まれる。ダブルバインドの過程について比較文学研究者のG・C・スピヴァクは『スピヴァク、日本で語る』(二〇〇九・四/みすず書房)で沖縄について、目取真俊の小説「希望」を例に挙げながら倫理と政治のダブルバインドについて論じている。「希望」で主人公が米兵の幼児を殺害し、自ら焼身自殺することについて、スピヴァクは「ある時突然、不安に怯え続けた小さな生物の体液が毒に変わるように、自分の行為はこの島にとって自然であり、必然なのだ、と思った。」という一節を引用し、「倫理的に暴力を容認することの不可能性は、この政治的主体、ないしはアクターの破滅をも必要とするのです。」と米兵の幼児の死という政治と倫理の矛盾ともいえるダブルバインドに満ちた行為の極北として指摘しているのである。スピヴァクの指摘は、先に引用した大江の「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分はかえることはできないか」にも通じる。そして、部分的には松村の抱えるダブルバインドと共通している。一方で松村は早くも島が女性であることに気づき何首にもわたり詠っている。ダブルバインドの歌を詠いつつも、次第に島と自己が同化していくのである。大江や目取真と比べて自然に島と同化していく印象があるのは、松村の女性性と島の女性性が共鳴したからというのは深読みしすぎだろうか。

 

椅子ひとつ足りぬルールを押しつけて仲間だよねとまた押しつける 『光のアラベスク』

首都の雪ばかり報道するテレビ南の抗議行動続く

八重山の古き文書に「日毒」とやまとの国は記されてあり

島になるまでの時間を人として這わねばならず暗き大地を

 

 コンセプチュアルな『耳ふたひら』に比べ、『光のアラベスク』はあとがきに「自然環境の悪化や民主主義の変容」とあるように世界全体を視野に入れ、沖縄問題においては理性的に詠っている。一首目は在日米軍基地の負担等における日本政府の態度を、あえて椅子取りゲームになぞらえて皮肉に詠っている。二首目は報道も日本政府と同じく首都偏重で沖縄と距離があることを示唆している。三首目は八重洋一郎詩集『日毒』をきっかけにした歌。古くから大和は侵略者として嫌悪されており、日毒という字づらを読むだけで意味がわかってしまうことを詠っている。同連作に〈詩を問われ詩人は答う「一滴の血も流さずに世を変えるもの」〉という歌があるが、八重が詩集に『日毒』という古い言葉を選び、現代によみがえらせたことも一滴の血も流さずに世を変える実践の一つなのかもしれない。四首目は巻末の歌である。『耳ふたひら』を経て島と同化する意識がある。松村のなかで沖縄、石垣島と歴史をともにするという意識が自分のなかでしっくりきているのであろう。松村の歌は、例えば大江の葛藤に満ちた沖縄観から、葛藤を経て同化するという、沖縄文学として新たな局面に位置している。

くくるす Vol.1」(二〇二二・五)所収