短歌と「余計者」

   人死にて後《あと》に残れり生きし日の喜び凝りてなれるその金 窪田空穂『冬日ざし』

 

 死後に残った遺産について、地獄の沙汰も金次第ともいうが、その地獄に金銭は持っていけないのが残念なところである。もっとも地獄はひたすら責め苦に会うことになるので、金銭があっても自動販売機すらなさそうだ。引用歌の前の歌に〈食はず著ず金ためて死にし翁ありその高多きに人の驚く〉というものがあり、ある老人の死から思いを巡らせた一首である。多くの人は勿体ない、生前使えばよかったのになどと思うのだろう。特に歌に登場する吝嗇家の老人は相続人がいないとあるので、より一層そう思われたことだろう。しかし、空穂は残った金銭は生きた日の喜びが凝固したものであるといい、一般的な認識とは異なる見方をする。〈食はず著ず〉というのは我慢ではない、蓄財をする過程に老人の生きる喜びや意味があったのではないかと空穂は考えている。

空穂は富裕なひとより、清貧なひとに心寄せをする。空穂が受洗したことを念頭におくとプロテスタンティズムともいえるが、長野県松本の風土や、農業をしていた兄の勤勉さなどの出自の影響もあるだろう。丸山真男『日本の思想』(一九六一・十一/岩波書店)で近代文学について、

文学者が(鷗外のような例は別として)官僚制の階梯からの脱落者または直接的環境(家や郷土)からの遁走者であるか、さもなくば、政治運動への挫折感を補完するために文学に入ったものが少なくなく、いずれにしても日本帝国の「正常」な臣民ルートからはずれた「余計者」的存在として自他ともに認めていたこと

と論じている。空穂に照らし合わせると、東京専門学校(現早稲田大学)を中退し、コメ問屋で働くというキャリアからの逸脱がある。そして、長男ではないということも理由にあるだろうが、郷里松本から上京している。政治運動も目立ってはしていないが、大日本歌人協会解散のときには、それを非難する歌を発表しているし、大政翼賛的な歌も詠んでいるには詠んでいるが、絶妙なバランスを保つ(篠弘『戦争と歌人たち』に詳しい)。

現代はこの「余計者」的存在になることは難しいのではないか。丸山のいうテーゼとしての官僚制や直接的環境、政治思想が複雑かつ蛸壺状に内向的になっており、「余計者」的存在という一つのアンチテーゼでは身が持たない。また、SNSには誇張やいくつかのデマを交えたアンチテーゼ“めいた”言説が跋扈しており、仮に「余計者」的存在になったとしても埋もれてしまい、傍からは一種のポーズにしか映らない。こう考えると嘆き節なのだが、短歌のような小さな文学においては「余計者」的存在でありやすいように思える。自費出版、謹呈、また歌壇というコミュニティにより、そこそこガラパゴス化しているからである。昨今はどうであろう。歌集の商業出版や、短歌作品のネットミーム化が珍しくなくなったなか、「余計者」的存在に優しい表現形式であり続けているのだろうか。そんなことを最近考えた。