ふらんす堂の短歌日記シリーズは、日記という形式のごとく一年を通して歌や歳時、人事に思いを馳せることできる不思議な魅力がある。また装丁が毎シリーズとも動物がかわいらしくデフォルメされており楽しみだ。今回はきょとんと立つ兎。一首一首が独立しているため一首鑑賞の形式で今回は歌集を読んでいきたい。
子とともに遊びし日々は飛び去りてボートの間《あい》の夕焼けの水
一月四日の歌。すなわち四首目。歌とともに散文があるのがこのシリーズだが、「宝ヶ池は、私の家から二十分ほど歩いたところにある。比叡山が逆さになって映るのが美しい。鴨やアヒルや白鳥が岸の近くに浮かんでいる。」と書かれている。比叡山が聳え立っている景色があること、叡電は叡山電鉄の略だが、比叡山の電鉄ということがわかる。歌集の景色がこの頁で立ち上がる。〈子とともに遊びし日々〉というのは飛び去っていくというので、宝ヶ池に憩う渡り鳥のようなイメージなのだろう。渡り鳥が海を越えるのと同じように子の自立を思っている。そして、子は渡り鳥のごとくいつかまた戻り、飛び去るのであろう。下句でボートの間の水という細かいところに焦点が合うのだが、ボートの間の水面は、それ以外の水面とはまた別に膨れて萎む水面である。
冬の樹の影の映れるビルに来てうさぎの爪を切ってもらいぬ
一月十六日の歌。装丁で気になっていた兎が登場した。卯年の挨拶歌でもあるようだが、冬の澄んだ空気感が樹とビルの景色から伝わる。兎は冬毛だから樹やビルのドライさに反して、暖かそうだなどと思う。
轟音の過ぎゆきしのち踏切は薄き日なたをひろげていたり
二月五日の歌。踏切の何もない風景なのが、上句の異化や下句の擬人化が双方有効にはたらいていて引かずにはいられない一首である。レトリックは二つ使うと上手く一首にまとまらないと思っていたが、どうやら腕次第らしい。踏切の空間が、薄き日なたがさし、時折轟音が過ぎ行く不思議なものとして浮かび上がる。
バフムトとう自らの街を砲撃す 暗緑の砲が反動に揺る
五月二十四日の歌。ウクライナの街がロシアに占領され、ウクライナ軍が反撃にでる。散文にウクライナの市民は誤爆されないのかという一節がある。尤もな疑問だ。避難勧告でもするのだろうか、そうしたら奇襲もできない。報道の一場面を切り取ったような歌だが、自らの街という句に割りきれないものがある。仮に市民が待避し、無人の街に砲撃したとしても、嫌な気持ちになるだろう。察することしかできない。確かなのは砲撃があったということで、鉄のごときリアリティがある。
人ならば火傷《かしょう》する路にひるがおの花は這いおり自転車を停む
八月六日、広島平和記念日の歌。原爆の熱線か、酷暑の路面温度か、この読む際に揺らぐところに、現実と過去が交差する。ひるがおの花は路面ギリギリに這うことで視点は限りなく低くなり、熱線が伝わってくるようである。この一首をより鮮烈にさせるのが日付である。
震災ののちの虐殺をかろうじて逃れし迢空 葛の花赤し
九月二十四日の歌。関東大震災のときに自警団が各地で結成され、朝鮮人のせいだといってリンチや虐殺をしたことが最近になって映画や報道に取り上げられるようになってきた。迢空も出くわしたようである。〈葛の花踏みしだかれて射ろあたらしこの山道を行きし人あり 釈迢空『海やまのあひだ』〉の本歌取りだが、踏みしだかれて赤くなる葛の花は人間のようで生々しい。
俺が書いて何になるガザの死を 消せば埃の吸いつくテレビ
十二月二十三日の歌。「歌わないことも、何かを喪失することになる気がするのだ」と吉川は書く。もう年が終わろうとしているなか、ガザ危機は状況が悪くなる一方だった。上句の直接的な物言いや破調は、肉声のようで、また反語として読んだ。テレビはガザの報道やそれ以外の番組を延々と長し、消したら埃と黒い画面があるのみである。この消せば消えてしまうのは、テレビだけではなく歌も同様にいえ、詠わなかったらガザの死の歌は存在しない。当たり前のことだが、そうともいえない。