湯川晃敏写真集『方代さんの歌をたずねて』は大下が山崎方代のゆかりの地を訪ね、湯川が写真を撮るという作品集だった。『方代さんの歌をたずねて』が大下・湯川・方代の作品であるなら、本書は大下・湯川・(方代)といった感じである。元々、大下と湯川は方代の縁で出会ったので、本書にも方代が登場するのだが、タイトルの通り歌遊行、写真遊行の旅行記のような一冊でもある。
表紙はどこか寂し気な雪景色のなか大下が石畳を歩く写真である。雪と僧形の組み合わせに心が動かされるのは、どこかで仏教と生活が調和したところに美を感じる価値観を持つようになったからで、それは筆者だけではないだろう。……と言いはじめると興がそがれる。本書は歌も、エッセイも写真も面白いので早速頁を捲りたい。
鶯宿の峠路古きを登り来て登りつめなんじゃこれがもんじゃぞ 『即今』
頁を繰ると大下の歌一首と、作歌背景やその地についてのエッセイ、写真の組み合わせになっている。「一 鶯宿峠」では上記の引用歌と、山崎方代との出会いについてのエッセイ、そして霧深い森に立つ大下のシルエットの写真が掲載されている。さて、この章を味わうためには〈生れは甲州鶯宿峠《おうしゆくとうげ》に立っているなんじゃもんじゃの股からですよ 山崎方代『右左口』〉を念頭におきたい。写真の霧深い森は、方代の〈甲州鶯宿峠〉大下の歌の〈鶯宿の峠路古きを登り来て〉の場所なのだろうか。歌は歌として下句の反復も面白く、なんじゃもんじゃの木ってなんだろうと期待感が高まるのだが、写真があるとまた違った深い味わいになる。次の頁をめくるとなんじゃもんじゃの木の写真がある。残念ながら台風で倒木してしまったが、大下が「十月十一日に私たちは小さな祭壇をしつらえ、供養の第一巻を誦した。」と書いており、その場面の写真である。年月を感じる大木が倒れ、枯れている前で、大下が誦経している。なんじゃもんじゃの木の時間と、方代の時間、大下の時間がまぜこぜになり、湯川が一枚の写真を撮る、このまぜこぜなところに本書の魅力があると思った。
堀の町白秋の町柳川は五月の光ふさわしき町 『月食』
中盤以降は『方代さんの歌をたずねて』の範疇の写真ではない歌遊行写真遊行となる。引用歌の通り白秋の町柳川だ。「一 鶯宿峠」の写真や歌は迫るものがあったが、この章は文学旅行の様相があり楽しい。写真の大下も「柳川」「川下り」と書かれた傘(頭に被る形)を携え船に揺られ、旅を満喫している様子。
行き着くは同じところなるこれの世にひだり男坂みぎ女坂
本書で大下は「瑞泉寺の石段を上り始めるとほどなく、石段が左右に分かれる。左は昔ながらの鎌倉石が積まれ、急に上がる。右は比較的新しい石が使われ、ゆるりと上がっていく。」と書く瑞泉寺の石段がある。最寄りのバス停から少し歩くので、この分かれ道に到達するころには息が上がっている人がほとんどだろう。筆者は左の男坂は大下のいうとおり古く足を掛けたらごろっといきそうなので、自分の身寄りも貴重な鎌倉石を思っていつも右の女坂を上る。来訪者に「瑞泉寺にはどちらの石段を上ったらいいのですか」と聞かれると、「どちらを上っても、行き着く先は同じですよ」と答えるらしい。写真は、その分岐点に大下が箒をもって立っている。
旅先の大下さんもかっこいいけど、瑞泉寺で箒をもつ大下さんが一番だと思った。行き着く先の途中で、大下さんのような歌人になれたらいい。行き着く先は同じだというけれど、次は男坂を上ろう。