歌集の解説を坂井修一が「医学、文学、そして人生」と題して書いている。歌集を通読すると、解説のとおり医学と人生が混ざり合いながら歌になっている。時折、医学と詩歌の二足のわらじを履いた先人たちを顧みながらである。
鉛筆の匂い立たせてスケッチす手暗がりにも我が道あれば
医学生のころの歌。歌集は概ね編年体なのだが、瑞々しい学生時代から始まる。スケッチという言葉も連作で読むと絵画ではなく、解剖生理学的なスケッチのように読める。鉛筆の匂いに学生の時代感がでており、また手暗がりにある我が道というところに、暗がりに描かれている内臓器官に専門性を持つ医学生らしさがある。匂い立たせてスケッチする様にも医学の道を歩むことへの期待感を感じる。
我がために献体されし人の名を五十歳《ごじゅう》になっても言えるだろうか
前に歌に黙祷やメスなどが詠まれており、解剖実習の一連であるとわかる。引用したのは連作最後の歌。解剖実習という専門性が高く特殊な場面ではあるが、引用歌は献体への敬意やヒューマニズムがある。主体はどんな五十歳を過ぎを思い描いたのだろうか、漠然と、そう、歌のように思ったのか、それとも小慣れた医師になるまいという思いがあったのか、何れにせよ内省的な歌だ。
春の夜のあやまち多し聴診器《ステート》は白衣とともに洗ってしまう
ステートはこだわりのある医師と、ない医師がいると思う。しかし、世俗的には医師の象徴的な道具である。首から掛けっぱなしなのも心地が悪いのか、白衣のポケットは大きく、そこにステートをいれている医師がいる。以外とあるあるネタなのかもしれないが、初句から二句目はそれをあるあるに留めないように、歌言葉的につくっている。なおステートのメーカーではリットマンが有名らしい。
ほんとうは君を抱きたしこの腕にひしひしとありセシル内科書
上句がストレートな物言いで、いかにも青春詠なのだが、結句は医学書で収まる。主体のなかでは青春と医学は別のものではなく、自然に同居するものである。医学を優先しているようだが、本当は君を抱きたいと独白しているようにも読める。その苦悩がまた青春らしい。
くれないにマウスの腹をぬらしつつ茂吉へぐっと傾斜してゆく
医学と短歌の二足のわらじの歌。実験用マウスの死や、赤い色は、〈屈まりて脳の切片を染めながら通草のはなをおもふなりけり 斎藤茂吉『赤光』〉、〈またたくまも定まらぬ金位ききながら兎の脳の切片染めつ 斎藤茂吉『遍歴』〉などの歌を想起する。斎藤茂吉は主体にとってキャリアモデルのひとつでもあったのかもしれない。
検死後に必ず我は年齢を尋ねられたり不思議でならず
些末なことでも気になることはある。また臨終に立ち会う場で理由も聞けない。医師という役割からふと我にかえったときに、年齢を尋ねられることが気になる。不謹慎のようで、自分でクスッとする訳にもいかず、不十分な欠伸のような歌が面白い。
自らを励ましながら登る坂 研究はいたるところ、坂道
今朝もまた多摩蘭坂にさしかかり風に逆らい自転車を漕ぐ
自転車で坂道を登る歌が多い。往診や出勤の場面だが、そんな坂に人生を重ねているようである。歌集のなかで数回転居をしているのだが、そのなかでもいくつか坂を詠んでいる。岩田正に柿生坂があるように林にも、人生のところどころにいくつか坂があるのだろう。
患者らに電話に我はおびえつつ夜を暮らしおりノイヘレンより
工場法以前の働き方はあり頑張れという言葉空しき
ノイヘレンとは新人の意味。勤務医は当直がある。当直は残業ではなく、労働基準法上の労働時間にカウントされない(今は制限がある)。常に労務があるわけではなく、多くは待機しているからという理屈だが、医療機関はそんな生易しくない。患者が急変すれば院内PHSが鳴るからである。指示を出し、処置をし、経過観察し、場合によっては死亡診断書を書き、家族にムンテラ(説明)をする。そうなると一晩徹夜をして、朝からまた日勤に就くことになる。また、当直なので昼間より広い範囲をカバーする必要がある。一般論として、自分の専門外の症例を診るのも心理的負荷になるだろう。医療ドラマでは華麗に白衣を翻す医師だが、過酷な労働環境なのである。そんな医療というインフラを夜に一身に担う孤独感がある。一人だから孤独なのではない。孤軍奮闘という意味合いでの孤独感である。
東から西へと風が吹くときにあなたを好きと言ってしまえり
医学と人生の不可分性は斎藤茂吉や上田三四二、岡井隆よりも顕著だと思う。短歌ではないが、『ブラックジャック』を描いている手塚治虫のような不可分性がある。ブラックジャックの傍らにはピノコがいて、一番の理解者であるとともにブラックジャックの人間臭さを引き出す。この歌集にところどころ詠みこまれる君も歌集においてはその様な存在に思えた。〈あなたを好きと言ってしまえり〉のてらいのなさに、医学や知識に鎧わない人生を正面で歩いている作者をみた気がした。思い返すと本歌集には皮肉や毒のある歌がなく、読んでいて気持ちがいい。その点も歌集の魅力である。