坂井修一歌集『鷗外の甍』を読む

 二〇二四年の第六〇回短歌研究賞を受賞した「鷗外守」二〇首が収録された歌集。本歌集内には坂井が東京大学副学長、東京大学附属図書館長に着任した際の歌や、二〇二四年に定年を迎え、東京大学未来ビジョン研究センター特任教授、東京大学名誉教授となった歌も収録されている。同大学副学長としての歌が多く収録されていた前歌集『塗中騒騒』から本歌集にかけて、より社会的責務が拡大しており歌集の主題にも影響している。

 帯文には「森鷗外。石原純。北原白秋。木下杢太郎。釈迢空。南原繁。馬場あき子をはじめ現代歌人たち。」という一節がある。鷗外から南原繫までが近代の人物で、詩人・歌人の北原白秋や、政治学者・東京帝国大学総長の色が濃い南原繫以外は、文芸と学術の二足の草鞋を履き切った作家である。「森鷗外。石原純。木下杢太郎。釈迢空。」としたとき、坂井の名を後続に置いたとしても、文芸、学術の二足の業績をみると違和感がない。鷗外や南原繫などを想起すると、東京帝国大学を前身にもつ東京大学は政治的権力との、正であれ、負であれ近接性など、他大学にない力学が働いている。坂井は、歴史とともに、それぞれの作家の肖像写真を眺めるように回顧し、自分自身に照らし合わせている。そうした共鳴、それが響く知的空間を楽しめる歌集である。

 

ペン止めてひかりの中のソクラテス毒薬の壺をながめし時間

指を置くキーの隙間も塵たまる朝がきてをり雨音の中

 

 前半の歌から引用した。ソクラテスが裁判にかけられる際の弁論『ソクラテスの弁明』や、収監されているときに友人から脱獄を勧められる話『クリトン』は読んだことのある人は多いと思う。筆者は、ソクラテスの処刑の場面はルイ・ダヴィッドの絵画「ソクラテスの死」でしか知らない。絵画では毒杯を渡す人物は目を背け、ソクラテスは何か論じながらもそれを受取ろうとする場面である。引用歌の〈ひかりの中〉という点が絵画中の光の描写にそぐうため、坂井もルイ・ダヴィッドを下敷きにしている可能性がある。絵画の中の人物は顔を覆ったり項垂れたりしている。ソクラテスが毒薬の壺を眺める時間はほんの束の間だっただろう。獄中でも多くの人が悲しみ、ソクラテスは論じたが、最後に死の前にひとりで思索した一瞬の時間が詠われている。初句の主体はソクラテスではなく、作中主体である。ソクラテスの死の前の一瞬の思索について、坂井もまた一瞬思索する。二首目は日常のトリビアルな歌で一首目と好対照をなす。夜、雨の音を聞きながら執筆をしていたところ、いつの間にか朝が来たという歌なのだが、朝日によりキーの隙間の塵を発見する。つまり、塵を発見するまで朝が来たことを認識していないほど没頭していた主体が描かれる。その主体は、ソクラテスに思いを馳せた主体と同様のものとして違和感がない。二首目は塵という小さな対象から始まるにも関わらず、一首目と視点のスケールを補完しつつ、内省的な広がりをもっている。

 

  「出征」は出づるにあらず征くならずサイバーの野に矢を放つこと

  人を狩るよろこび深くふりつもり〈遠隔戦争〉はてしなきかも

 

 一首目だけ読むと意味をとりにくいが、二首目を読むとドローン兵器を遠隔で操作して、戦争に参加する様を詠っているのだとわかる。日本では第二次世界大戦以降は、出征はない。当時の出征は公権力による徴兵や、訓練中でも戦地でも様々な暴力がなされ、人間の醜い部分が全面的にみられた。一方で、サイバー空間上でドローンを遠隔操作する攻撃は、主体は攻撃対象から物理的にも心理的にも距離があり、サイバー空間上に矢を放つというあっさりしたものになる。その距離が戦争からゲームへ感覚の変化を及ぼすと二首目では詠う。昨今の世界各地の戦争に関する報道をみると、すでにゲーム感覚になっているのではないかと思えるほど、非人道的である。直接それらを批判するのではなく、情報工学の研究者としてのフィルターを通して、SF的に指摘している。

 

  いま死なばうつくしからむわが世あな鷗外文庫『ファウスト』のまへ

  腕力のままに渡りをなす鴨も老いぬれば墜ちむ春の海境《うなさか》

 

 坂井は第一歌集から、鷗外訳のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『ファウスト』を度々歌に詠んできた。筆者のブログ「ふたりの博士 坂井修一とファウスト」(「浮遊物」二〇一九・九、https://fuyuubutu.blogspot.com/2019/09/blog-post.html、最終閲覧日二〇二五・八・二一)では坂井とファウストを比較して論じている。「鷗外守」では一首目のような歌がある。第一歌集では〈月沈む研究室の格子窓めざむれば独房のごときよ 『ラビュリントスの日々』〉といったような、学者悲劇に苛まれる戯曲上のファウスト博士に坂井も自己投影したような歌がみられた。「鷗外守」では鷗外の所持品であった『ファウスト』の前で死んだら美しいだろうと夢想する。ゲーテ、ファウスト、森鷗外、そして坂井が時代を超えて邂逅する場を生みだしている。

 

玄関のとびら開かれ妻が立つちひさな家のちさきかがやき

 

 病床詠も多く収録されている歌集である。幅広い文化や知が主題になっている歌集であるが、病を得たのちの歌は、家族や自分自身のかけがえのなさが詠われる。以前の歌集から大きな時空間のある歌と、身近な歌と題材に振り幅があったが、本歌集はより一層深い情感をもって詠われている。