散歩者の日記2019年10月

某日
 日記も半分を過ぎたことになる。来年はどうしようかしら。
 杉山二郎著『木下杢太郎 ユマニテの系譜』を読了。ユマニテの獲得に焦点をおかれているが、柳田や鴎外だけでなく、中国からフランスまで東西のユマニテを獲得しようとした杢太郎の精神史を追うことができた。自分の読書や文化に対する態度もユマニテ的なところもあるのかもしれない。尤も杢太郎や鴎外のようにはいかないが。

某日
 『感傷ストーブ』のパネリスト選定に難航している。自分の第一歌集の批評会はカフェで、5人くらいで輪読する感じでいいなぁ。
 勉強会にむけて『あさげゆふげ』を読む。ブログで一度取り上げたがまだまだ言及できそうだ。角川の特集と、かりんの40周年記念号あたりと、『あかゑあをゑ』あたりまで遡って読んでみようかなどと考えている。かりん力作賞の評もあるし、結構油断ならない状況である。とりあえず月詠と北海道短歌会掲載予定の歌を出したので少しずつタスク消化はしているのだが。
 「かりん」が届く。最近、良くも悪くも安定してきている気がして危機感を覚える。同期と並べると地味でぱっとしない立ち位置が安定なのだから、もうひと段階展開がほしいところ。

某日
 昨日は徳田秋声の『あらくれ』をちょっと読んで、疲れていたからスラブ行進曲を流しながら横になっていたら眠ってしまっていた。短歌はあまりできず。やることは盛り沢山なのだが体力が追いついていない。明後日は休みなので勉強会関係を進められればいいなぁ。
 来年から日記はそこそこにして、作品7首の画像と、エッセーを打ち込んで毎月ブログに掲載するのもいいかもしれないと思っている。日記も日々の記録ではあるので捨てがたいが、エッセイで触れていくといいか、まだ模索中。

某日
 杉山二郎著『木下杢太郎 ユマニテの系譜』を読んでしばらく経って、鷗外美学は憧れるところではあるんだけど、自分の根はそれより自然主義的な黴臭さにある気がしてくる。

某日
 徳田秋声『あらくれ』読了。自然主義文学の印象が強いからか、秋声は嫌いという話を歌会で聞く。とくに教養のある近代文学を読んできた年齢の女性に。『黴』や『爛』はたしかにそんな感じだ。でもダメ男と一緒にいる女もダメで、というかみんなダメでそれなりに生きているのだ。そのダメさにお互い凭れている世界に、ある対人関係の究極さを感じる。『あらくれ』はそんな要素もありつつ、主人公のお島がかなり豪快に立ち回る。台風のような女性といってもいいかもしれない。与謝野晶子がみたら眉をしかめそうな奔放ぶりだが、ある意味人間の強さで、商売をおこして失敗して、泣いて亭主を殴ってみたいな乱の部分は文学でしかもうみられない気がする。

某日
 高山羽根子著『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』読了。私を通して災害やデモ、児童ポルノ、自殺など社会的事象を散りばめつつそこにある人間の機微や、大衆心理を描いている。短くてさっと読めるが、分解すると、大衆心理と私≒著者のエッセーのようなつくりだ。小説を乱読しているが何か自分の歌の栄養になるといいな。

某日
 早めに上がったが疲れていたのかすぐ眠ってしまう。『あさげゆふげ』の書評を短歌研究から発掘して、これも参考にしようと思った限り、短歌活動はできなかった。台風が来るらしい。あまり危機感を抱けていないが関東を直撃するようで、被害は大きいだろう。KindleFireがほしく、日に日に物欲が高まる。

某日
 昨日は、またもや台風が関東を直撃した。昨今の台風は勢力も衰えずにくるので、河川が反乱して街の規模で浸水被害にあうし、土砂崩れもあり多くの死傷者を出す。突き詰めると気候変動なので早期対策を望むが、世界の首脳陣の薄ら笑いをみていると絶望的だとわかる。社会と自然という二つからの驚異から生き残り、その中で歌を作り続けなければならない。
 最近歌の評ばかり書いている。発表の場があることや、謹呈をいただくことはありがたい。そして、ブログが充実していく……。

某日
 Kindlefireを購入する。PCの配列でタイピングしたくてタブレットをと考えていたが思ったより快適には入力できない。慣れてくるものだろうか。

某日
 久生十蘭『母子像』読了。戦後奨学金を貰いながらミッションスクールに通う主人公は、米軍の資材を燃やしたと取り調べを受ける。周りからは品行方正に映っていた主人公だが、内面には母に対する異常な愛を秘めておりすべての非行に対して、全く異なるベクトルの意図があるのだった。前々から十蘭はいいらしいとは聞いていたが、短編ながら面白く読んだ。エディプスコンプレックスとはまた違うだろう、美を愛でる気持ちと、狂気が主人公を異様に行動的にしている。母は才媛ながら慰安所やバーを経営している美人という設定が、才や容姿が優れていても戦後は、俗にまみれないと生きていけないという現実や、そうした感覚が麻痺している主人公など、読みどころはたくさんあるだろう。
 久生十蘭『西林図』読了。鶴鍋をつくらないかという提案から始まる俳人と、商家娘の恋の物語。娘は横浜の空襲で行方不明となっている。商家の庭で鹿島老人と俳人冬亭が二人で話しながらメタ的な意味を込めながら話は進む。技工的な作品ながら読者に負担をかけず一気に読み切れた。
 久生十蘭『黄泉から』読了。程よく故人が訪れる。身内を亡くしていると何となくわかる感覚でもある。

某日
 久生十蘭『無月物語』読了。母子が存続殺人による死刑に処せられるところから物語がはじまる。父であり夫である泰文の邪悪な振る舞いのすえ、母子が企てて殺害するのだが、死刑という結末は必ずしもバッドエンドではないのかもしれないと思わさられる。久生十蘭『予言』読了。
 久生十蘭は面白い。短編を一気に読んでいつ長編に挑戦しようかと思っている。

某日
 かりん勉強会で馬場あき子歌集『あさげゆふげ』を読む。午後は東京歌会。二次会は参加せずにお暇する。歌の調子はまずまずと言うところだろう。もうひとアクセント必要というアドバイスを坂井さんからいただいたので、推敲のときにもうひと押し考えるようにしよう。勉強会がとりあえず終わったのでしばらくブログと歌作と読書の日々にしよう。

某日
 久生十蘭『昆虫図』読了。短いだけあって若干薄口。久生十蘭『春雪』読了。柚子という少女が、まだ人生を味わいきれていないのに逝ったと思っていたが、そうではなかった物語。久生十蘭『黒い手帳』読了。実存的な作品。博打より投資だな。

某日
 今日は中学からの友人と昼から飲む。店は「吉田類の酒場放浪記」で取り上げられたこともある所沢の「百味」という店。最初に頼んだどじょう唐揚げが美味しい。お互い道は違えど歳月とともに歩んでいて、同年代の人生を三人で話すというのが面白い。ちょうど三十一になるのだが、三十路というのは結婚ラッシュでもあるのかもしれない。
 世間では即位の儀で持ちきりだが、シフト上祝日というより、公休の日がたまたま今日で休みみたいなかたちなので、あまり特別感がない。

某日
 久生十蘭『魔都』読了。長編小説で、銃前の東京の雰囲気がよく出ている。日比谷公園の鶴の噴水が歌うという噂を起点に、国際事件、ヤクザ、新聞記者、警察(明智小五郎のような切れ者の)、家族崩れ、ダンサーなど混沌とした時代を彷彿とさせる人物が登場する。当時の東京のごちゃごちゃとして、影が濃い部分や、人々のアウトサイダーなところなどを長い間楽しめる。そして、『魔都』の夜は美しい。

某日
 仕事がストレスフルな一日だった。仕事で感情をあらわにするのは、私的な部分を押し付けていることであり、公私混同だと思った。社会人としては極めて未熟である。今月の「短歌」は角川短歌賞の発表号だ。ツイッターでは候補や佳作になった、予選通過したなどの報告が溢れている。そんな苦の多き一日にいい本が和辻哲郎『古寺巡礼』ではないか。まだ4分の1にも満たないが、読んでて癒やされる稀有な本。

某日
 昨日は飲み会。家に帰ったあと頭痛と戦っていたが、テレビで玉置浩二が歌っている。ジャンクランドという歌らしいがかなりいい。ここまで芸が極まっているなと思いつつまた眠ってしまった。
 奥田民生の危機感(諦念感?)は、音楽を短歌に置き換えても示唆に富んでいる。
奥田民生「CDはなくなるでしょうね」YouTuberとして活動する理由語る https://news.mynavi.jp/article/20191027-915127/ #マイナビニュース

某日
 『古寺巡礼』読了。仏像からインド、ギリシャの影響を推察したり、仏像の美を印象批評したりと博物館を巡っている気分になる。おわりに、日本の多神教的な豊かさを賛美しており、その部分が肝なのかもしれない。 
 ツイッターで大逆事件の話が出てきて、坂井さんの読書案内のツイートをみて、森鴎外『食堂』読了。無政府主義がわかる小説。『沈黙の塔』もまたしかり。沈黙の塔の方が自然主義にも視点をまわしており、抽象的で詩的な雰囲気がある。

某日
 仕事は雑務が多い。帰りにエビのスープの缶飲料が売っておりすかさず購入。美味しいが、工場はどのようになっているか考えると、げんなりする。