息をする歌 折口信夫著「語り部と叙事詩と」を読む


 万葉集を捲っていると、額田王の歌とされるとか、山上憶良の類聚歌林によると○○の歌として収められているなどと、転載や文章化されたときに若干超訳されているのではないかと思われる記述がある。エジプト神話やギルガメッシュ叙事詩は現代に生きるひとが読むまでに、解読の苦労があったことを鑑みると、叙事詩がここまで受け継がれてきたこと自体が貴重であり、また多くの学者や文学者が読み、語ることでその都度不死鳥のごとく新陳代謝が起こしていたことがわかる。そんなことを考えながら、本文では折口信夫著「語り部と叙事詩と」(『折口信夫全集4』所収、中央公論社、一九九五・五)を読んでいく。
 本書で折口は語り部と叙事詩の存在を主張してきたという宣言から始まる。世界各国に語り部と叙事詩は存在することから、日本においても例外ではないと思う。そして、世界の叙事詩や神話は今日も多くのオマージュやパロディが存在する。日本における語り部と叙事詩の存在については、あまり反論の余地はないと思うが、折口いわく反論も多々あったらしい。
 叙事詩の発生は土地の精霊の名乗りを促し脅かす呪言の延長として発展し、眷属や地霊の来歴などが加わり長さが増し神社に祀られていったというのである。それに使える神人が語り継ぐうちに、無意識に他の叙事詩を取り込んだり、言語学的な変化が生じて、村の興亡による語彙の変化も手伝って、生理的・社会的な変化を遂げていった。言語心理学の話になるが、「展開過程・文章産出における表象の構築モデル」(山川真由・藤木大介、「認知科学」二十一、二〇一四)というものがある。単語や文節を読み、文章レベルで認知を構成していくことをミクロ構造といい、自らの既有知識と統合して文章を理解していくさまを状況モデルという。語り部による叙事詩の伝承も同様な認知モデルを経て、何代にもわたり語り継がれてきたことと考えられる。その手の分析は国文学者や心理学者に任せるとして、読者であり短歌実作者である私は語り部の認知的作用に便乗して、その叙事詩をさらに読んでいき、新たな魅力を発見したり付加していくことが仕事のように思う。
 エッセイなのかもしれないし、実作なのかもしれない。自分がやる必要はないし、誰に言いつけられたものでもない。そうした、無意味性も私の文学への態度でもある。語り部のなかにもそういうひとが一人くらいはいたのではないだろうか。