ブラックホールは歌う 井上円了著『通俗講義 霊魂不滅論』を読む

  井上円了の『通俗講義 霊魂不滅論』を読んだ。霊については以前神智学の入門書のさわりを読んだ程度だが、通俗講義とあるように初学者でもわかりやすい内容であった。また、講談のような軽やかな文体から、円了の教養を一般に広めようとする意志が伝わり、それこそ円了の霊の声を聞いているようであった。

 神智学の霊の概念に近いながらも、本書は霊なんているわけないじゃんといういわゆる常識に対して、回答する形式である。霊なんているわけないというのは唯物論であり、円了は唯心論の立場をとると述べている。霊は観測できないからいないのではなく、いないことも証明できないということや、精神がろうそくの火のようなものであるならば、一度死によって消えてもまた火がつくはずだなど面白い論法で展開されていく。一瞬なるほどと思いつつ、いや待て言い過ぎではないかと思うのも、近代人と同じであろう。円了のいうようにいくら科学が発達しても霊は観測できないので、霊に対するスタンスは近代人と同じものにならざるを得ないのである。

 本書から一つ核心のようなものを得た。死ののちに脳Aの機能が停止しても、無限の組み合わせのあるカオスな宇宙空間全域のなかで、脳Aの機能と同じ構成または機能が出現する可能性は大いにある。それが千年後なのか観測できないほど未来なのかわからない。しかし、脳Aの機能がある偶然出現したときに例えば「お好み焼き食べたいな」という抒情が生じるのである。その抒情をするのが未知の生物かもしれないし、生物ではなく惑星かもしれない。しかし、その瞬間脳Aはよみがえるのである。もしかするとブラックホールは歌っているかもしれない、そんなことも考えた。