空穂のメタモルフォーゼ 一首鑑賞

  枯れすすき木菟《みみづく》となりまろき目の黒き目向けてわれを見すゑゐる 窪田空穂『卓上の灯』

 空穂は境涯詠、家族詠、そして些事を掬いとった生活詠という評判がある。そういう側面もあり、老いの艶は現代に通じるものがある。臼井和恵著『最終の息のする時まで 窪田空穂、食育と老い方モデル』(二〇二〇・三/河出書房新社)では空穂の人生をたどりながら出会いと別れ、風土、社会状況について触れながら人間探求していったことについて考察している。筆者も臼井の本を読み、「空穂の読み方 臼井和恵著『最終の息のする時まで 窪田空穂、食育と老い方モデル』を読む」(http://fuyuubutu.blogspot.com/2020/10/blog-post_19.html?m=1)で短歌が文学論だけに終始せずに生活科学まで及ぶ可能性について示唆した。空穂の歌は人間探求のさきに、実践知を内包しはじめて有用の歌にもなっていたのだ。
 しかし、引用歌は枯れすすきが木菟にメタモルフォーゼし、丸く黒く印象的な目をもって、まるで射抜くようにわれを見据えているのである。先に述べた歌の方向性とは別に、精神的にある暗さを暗示する黒い目や、木菟という知のモチーフがあらわれて、芸術的な意図を持っている。写実でもなく、ロマン主義でもないこの歌はモダニズムを思わせる。他の歌人、他ジャンルではモダニズムが定着したなかで、空穂も接収していったことがこの歌から示唆される。その姿勢もまた老いの艶といえそうである。一般的に歳を重ねると保守的になるといわれるなかで、不易流行を血肉にするのが空穂なのである。