時空を超えるきんつば 坂井修一歌集『古酒騒乱』から一首鑑賞

  人斬るは国のためぞとたからかに澄んだ声あり光るきんつば 坂井修一『古酒騒乱』

 きんつばは刀の鍔が由来の菓子である。連作中ではきんつばから、鍔、鍔から武士のたましいと展開させている。武士の魂が危機に瀕するのは、徳川幕府が揺らいだ幕末であろう。歌では武士は人を斬ることで国に尽くしたというが、徳川幕府は新政府に敗北して四民平等、廃刀令などアイデンティティが失われていく。「人斬るは……」と叫んだのは幕府側のみだとは限らない。連作中に岡田以蔵も登場するので倒幕の志士でもあり得るのだ。志士も武士であり、国のために人を斬って、そののち刀を捨てなければならないダブルバインドがある。
 連作中に、きんつばのなかのつぶは言葉を知らず暴れたがっているだろうという歌もある。島崎藤村『夜明け前』をちょうど読んでいて、この歌の核心に近づけたような気がする。幕府は徳川将軍家の威光を根拠に政治を行っていたが、月日が経ち次第に形骸化していく。参勤交代の廃止は各藩主にとっては経済的救済になるが、街道沿いと江戸の経済は回らなくなり不景気になる。そんな閉塞感があるなかで生まれたのが尊皇攘夷の機運だ。理論的背景に平田派の国学があったようだ。天皇と国学という理論的な後ろ盾があり、尊皇攘夷は理論的根拠と大義名分を得て多くの支持を得たのだ。歌に戻ると、武士、すなわち幕府側は慣例という根拠しかなくなってしまった。しがって説得力に欠くので、安政の大獄や新選組などの実力行使に出るのである。志士も以蔵の人斬りという通説を信じると言葉が足りず実力行使した人である。武士の世の終焉とともに、西洋文化と近代合理主義が日本に流れ込んでくることも暗示する歌である。
 歌のみだと幕末に心寄せする歌だが、それだけではない。国のためという大義名分で行われる政治や、言葉の足りない反知性主義なども含意していると読めそうだ。