一首鑑賞初め 「かりん」(二〇二一・一)若月集を読む

  留学生のせいにされたる敗退を冷たい雨のなか受け止める 貝澤駿一

 マラソンの先頭集団は外国人選手が固めているような映像の記憶がある。学生の大会だと留学生ということになる。連作の中で日本人が食らいつくも惜しくも振り切られてしまったことがわかる。生物学的な体格差などアドバンテージはあるのかもしれないが、それだけなのか、そのように引用歌の主体は思っている。そして、その冷たい雨は、マラソンのためにスカウトされた青年の立場である留学生とは何かという問題にも及ぶ。

  老いてひとに警備のしごと残るとふ靴音おもき夜の防人 鈴木加成太

 工事現場、公共施設、イベントなどにも高齢の警備員が目立つ。年齢的に無理が効かなくなってきたときに気温や体内時間的に無理がある就労をしている社会がある。社会派になりがちな主題を下句で韻文にしているという鈴木の歌に対する態度が垣間見える歌である。古歌にみられる防人も各地から招集された名もなき民衆である。防人は朝廷により、警備は社会から迫られて立ち続ける。

  どこまでもひらたくなりたい秋がきて山椒魚の木彫りを買ひぬ 上條素山

 眉を中心に作品を発表していたが、前月号に続き山椒魚をテーマに連作を組んでいる。眉もそうだが、どこか悠々としていて、中心から少しずれているものに心寄せしている。山椒魚の生息地は限定されていることから、ひらたくなりたいというのは脱力感だけではなく、どこか隠遁願望もありそうだ。それを象徴するように木彫りの山椒魚を買うのだ。

  活き作りの鯛のあたまのぴくぴくを何度も撮ってあたたかい指 郡司和斗

 活き造りを撮る残忍さを詠っていると評したいところだが、郡司はもう少し踏み込んでいる。鯛の死にかけているところのリアリティのなさを詠っている。それは盛り付けられて、活き造りという名のもとに現れた鯛に対しても、それを撮影するわれに対しても向けられている視線である。普段ひとは死を身近に感じずに生活しているが、それとは別に引用歌を読むと、死のリアリティのなさが変容してきていると思わされる。