自然を愛す エドワード・O・ウィルソン著、岸由二訳『創造 生物多様性を守るためのアピール』(二〇一〇・四 紀伊國屋書店)

  本書はパストールというアメリカ南部バプティスト学派の牧師を説得・説明するような形式をとり論が展開する。パストールは大衆、ひいては読者の代名詞である。日本では意識しないがアメリカではキリスト教と進化論の対立は残っているようだ。ウィルソンは昆虫学者なので進化論の立場を取る。一方で多くの大衆はキリスト教の立場をとる。パストールは信仰により生物に関して創造説つまりインテリジェントデザインが根底にあり、人間中心主義につながる。そして一部は(多くは?)人間特別主義をとるとしている。国力とCO2排出量の面で環境問題に対してイニシアティブをとるべきアメリカが、左記のような対立構造があるという現状は言われてみれば納得だが本書を読んで改めて実感した。本書はそうした対立構造を煽るものではなく、論理的に説得・説明する形式をとり連携しようとする意図がある。

 第一部は「創造されしいのちある自然」で生物多様性の大切さと、いのちある自然とは何かを説いている。ウィルソンの専門分野である蟻を始め、菌類など目に見えないものが生態系を下支えしていることや、貿易により発展した初期的なグローバリゼーションにおいてしばしば蟻による甚大な被害の記録があったが、その真相の解明をし読者をミクロの世界にいざなう。そして、体重が十キロを超す動物群であるメガファウナのほとんどが狩猟により絶滅させられたということや、その他にも人間が持ち込んだネズミによって滅ぼされた鳥類のエピソードを紹介し、読者はその数限りない絶滅を知る。生物に生存権があるなら人間は大きな権利侵害を犯しており、その時点で問題なのだが、本書はパストールを説得することが目的なので、生態系の維持が人類の生き延びる上で重要であることや、創薬や災害からの防衛など最終的に人類に資するよう結論づけるエコプラグマティズム的な言説でまとめている。

 しかし、ウィルソンが求めるものはエコプラグマティズムではない。かといって、ラディカルなディープエコロジーを要求するものでもない。「人間心理に作用する誘引力のようなもの」であるバイオフィリアを主張している。生物の世界を探究したり、生物に感情をみとめたり、生物を神話や宗教に取り組むことがバイオフィリアであるとしている。日本の神話にみられる自然崇拝や、民俗行事などはバイオフィリアであるし、文学においても日本はバイオフィリアであった。学問においてはバイオフィリアと自然保全の二つのテーマを体系的に扱うものとして環境心理学があるとしている。保全心理学もウィルソンは紹介しているが、心理学専攻であった筆者は寡聞にして保全心理学という分野はみたことがないし、環境心理学も少しマイナーな印象がある。かつての日本においては文化的にバイオフィリアであったが、体系化されずまた今日その文化も顧みられなくなりバイオフィリアの影が薄くなっているように思える。サステナビリティが注目され、ファッションや社会デザインにおいて徐々にエコの意識は高まってきた。しかし、日本のバイオフィリアの精神史を鑑みると左記のような取り組みもいいのだが、カルチャー面でのアプローチが国民性に合っていると思われる。

 ウィルソンは終章でナチュラリストの育成について言及している。子どもたちに双眼鏡や顕微鏡を与え自然の中を冒険させるのがいいといっている。また、動物園・植物園・水族館に行くこともよいといっている。むやみに繰り出すのではなく例えば湖水をスポイトで採って結論は言わずに顕微鏡をのぞかせるなど、自然学習をファシリテーションするのが重要である。動物園等においても受動的に回るのではなく、目的をもって特定の動物を調べることが効果的であるとしている。そしてナチュラリストの教育は音楽等の芸術教育のようでもあり、将来自然科学分野以外の職業に就いても、ナチュラリストである(あってほしい)。

 パストールへの説得の本であったが、読み進めていくとウィルソンのバイオフィリアという愛をひしひしと感じ、熱心にその愛と共に自然の魅力を教示されている本であるという印象を持った。丘浅次郎が「いわゆる自然の美と自然の愛」(一九〇五・五/時代思潮)で美しい自然を愛すべしという教育学の方針に対して、自然は決して美しいわけではないと主張している。大自然の景観や無垢な動物の行動には心を打たれることもあるだろうが、それだけではない。動物の無残な死骸や糞尿も自然であり、自然は美しいという命題の根底にはキリスト教の創造説があることを論じている。ウィルソンのバイオフィリアは丘の反論と一見矛盾するようだが、美醜含め自然を愛すのがナチュラリストであるということだ。虫が苦手な筆者はまだ醜まではまだ愛しきれないが、散歩にとどまらず拡大鏡を手始めにもとめて外に出てナチュラリストはじめしてみようか。