山木礼子歌集『太陽の横』を読む

  「あとがきに代えて」によるとIは「短歌研究」連載作品、II は新人賞受賞作品とこれまでの作品が収録されているとある。Iは育児の作品を中心に編まれており、短い期間で集中的につくられた作品なので臨場感がある。また後述するがケアをする主体は様々な葛藤に直面し、批評、抒情のなかに問題提起がある。IIは新人賞作品および作品集といった感じである。連載作品から導入というのが作品に入り込みやすい。


  もう来ないからと小声で告げながら診察室を逃げるやうに去る

  あかるいが助けてくれぬ常夜灯 早く寝てくれ寝てください


 小児科受診のときに待たされた挙げ句に、診察も心ない言葉をかけられたのだろう。とはいえ相手は医者で、もしかすると緊急時にお世話になるかもしれない。医者だけでなく母は多くの危機に晒されている。危機は生理的なものだけではなく、社会的なものもある。分かりやすくいうと男性的父権的なものだが、いずれにせよヴァルネラブルな存在なのだ。次の歌のような切実感はいままであまり詠われてきてこなかったような気がする。子育ての苦労を率直に表現することが憚られてきた社会的な暗黙の抑圧があったということだろう。


  キッチンへ近づかないで うつくしいものの怖さはもう教へたよ

  泣き顔がどうも舅に似てきたな ともあれ深く抱きしめてやる


 子育て中の発見・発想の歌は面白い。幼いときに大人が知るようなことを教えるちぐはぐ感と、それとわからずキッチンに向かう子の無邪気さが対照的だ。カトラリーや野菜類など造形美を秘めつつも、それらは幼い子を歓迎しない怖い魔女のような存在なのだ。また、二首目のようにすこし覚めたところがあるところも子育ての歌を甘くしていない。舅を想像するところに微量の愛憎がある。この微量さも絶妙だと思う。


  花籠に花あふれゐる病室で褒められてゐるわたしの乳首

  春の雨 尿《ゆまり》するとき抱きあぐるスカートは花束となるまで

  おやおや わたしのやうな人間に両手を伸べてすがるといふの

  後ろ手に髪をくくれり夜の更けを起きて詩を書くならず者にて


 われを詠んだ歌を引用した。一、二首目は乳首や尿など身体のなかでも動物的な部分が、花籠や花束と取り合わされている。一首目のほうが景色と内容の組み合わせがユーモラスなのだが、花の溢れる空間でこそ褒められるものでもあるのだろう。二首目は春の雨と花束が植物相的なモチーフである。われの動物相的な身体が植物相的になるという感覚がある。繊細な感覚的な歌もあれば、三、四首目のような怪しげなわれをゆったりと表現した歌もある。先述のように全身で子と向き合いつつ、限界もあり、どこか覚めており、それでいて文学はするわれ。そんなわれを四首目ではならず者と表現している。髪をくくるところから、ならず者とはどちらかというと荒くれものな感じだろう。気分的にはヴィヨンのような感じかもしれない。

 現実に立脚しつつ、文学と生活に果敢に挑むわれがみられる歌集で、安定感と読みごたえのある歌集だ。上記のように従来の子育ての歌を更新するような歌も収められており、今後の議論に期待したい。本文冒頭にあるように連載作品が半分ほどの紙幅を占めており、臨場感のある歌集でもある。その反面「未来」に掲載された作品は結構削ったのだろう。もっと読みたいなと思った。