L・ヴィトゲンシュタイン著『青色本』を読む

  ヴィトゲンシュタインの講義録である本書は哲学の実践マニュアルともいうべきものだ。論理展開に時折迂遠があり、哲学書特有の難解さは感じるが、言葉自体は平明であり読書において助かる。

 前半は言葉の意味について書かれている。言葉の意味とは本書によると、言葉を用いた活動・実践でどのように使用されるかが言葉の意味であるという。また、活動・実践は言語規則や、本書では文法とよばれる文脈において、言語ゲームといわれている。例えば〈リンゴ5つ〉というメモを八百屋に渡せばリンゴを5つ購入したいという意思表示のはたらきをするということである。この記号的操作が言語ゲームであり、本書ではチェスの駒の動かし方に準えている。これは様々な形態で日常生活に潜んでいる。いまタイピングしているキーボードのバックスペースもそれである。

 意味についての記述は現代短歌の歌評、鑑賞においてもみとめられる。Aという歌を評したいときに、Aの歌意を述べるのだけなのは不十分である。本書風にいうと赤い布切れをみて赤いと表現するのに近い。Aという歌についてどのような読みが成立しうるのか、Aという歌が読み手にどのような情動を喚起させるのか、社会におけるAという意思表明はどのような位置づけなのか……などAの機能面に着目するのが本書風の読みであろう。一方で文芸特有の良し悪しについては明文化されていないし、明確にすることは難しい概念であるため言語ゲーム的な評は難しい。それよりは言語哲学的ではないが、作品Aの言語ゲーム的な印象批評を収集し、質的・量的に分析したほうがよさそうだ。

 その他にも本書は独我論や哲学的言語と日常的言語についてなど、言語哲学的に示唆に富んだ記述が数多くみられる。どれもがテーゼではなく、プロットなのである。解説が「『青色本』の使い方」という名前で章立てられているのであるが、ヴィトゲンシュタインの意図を組んだ命名だ。筆者は哲学については門外漢であるので、本書が哲学的にどのような位置づけになるのかは理解していない。しかし、文芸の実践で、日常生活で哲学的困惑に陥ったときに本書(ツール)を想起するに違いない。