栗木京子歌集『新しき過去』を読む

   職質をする警官もまだ若く月夜の魚のごとくに立てり

  足立区は東京都から独立を!立ち飲みしつつ男ら叫ぶ

  『おくのほそ道』出立の地を主張していさかいやまず足立区・荒川区


 駅裏で職務質問をされているという歌が前にある。政治や人種などで職務質問されるケースは巷に溢れているが、する側も一定の基準のもとに治安維持を担う労働者である。えてして職務質問はされる側に与して心寄せしてしまうが、する側の警官の瑞々しい若さや、翳りが詩的に詠まれている。二首目はセンベロの居酒屋といった感じの光景だ。われは男らと距離があるが、人情と猥雑さのある空間をどこかほほえましく感じている。昭和の熱気または下町気質というのか、三首目なども江戸っ子らしさを感じる。その他にも芭蕉や国鉄の歌が出てきたりと足立区という場所の風土を詠んだ歌がある。足立区の歌は〈足立区に緑はなけれど川のある景に惹かれて住みはじめたり〉という歌から転居がきっかけで詠まれたことがわかる。環境批評における環境詩学では環境は住みかであり、詩のなかにいかに住まうかという視点がある。一連の歌は職務質問という現代的な景や、下町情緒などを詠うことにより、自らの文学と共鳴させ、いわば歌のなかを住まいとしている。


  回転が足りませんねとつぶやきて寒き夜われは選歌してをり


 前の歌に羽生結弦の歌があるので、回転はフィギュアスケートのことでもあるし、同時に歌の展開のことでもある。歌人ならどこか身をつまされる歌で、クスッとしつつ気をつけますと言いたくなる。新聞、雑誌、TV、ラジオと意外と幅広く短歌は公募がありそれだけ選者もいる。誌面でみると選者は華やかにみえるが、作業は地道なのだと思った。〈回転が足りませんね〉とちょっと面白いことを独り言ちる様子にどこか寂しさも感じる。


  泣きじやくる老女の背中撫でてゐる母に表情なきこと寂し

  歯は大切 母が最後に教へたることは母らしく実利的なり

  耳の穴あきし骨あり細き糸通さば母の声聞こゆるや


 母の挽歌は読みごたえのある一連である。一首目は下句で老女に共感しつつも一緒に悲しむのではなく、ただ背中を撫でる様子に母のしなやかな強さと、それがどこか痩せ我慢めいていることへのわれの寂しさがみてとれる。二首目は母の発言ともいえるし、歯が強調されることで骨上げも想起させる。歯が大切というのは食べることや話すことである。それらを大切だといった母の人柄があらわされている。三首目はふとした思いつきなのだが、骨上げの際に様々なことを考え、偲んでいたなかのひとつであろう。抑制的な文体が歌意に合っておりしみじみと読まれる歌である。


  金雀枝を濡らし雨降る ほんたうに昨日《きのふ》と明日《あす》は続きてゐるか

  タリバンに制さるるより機体から落ちる自由を選ぶ、酷《むご》しも

  どこまでがフェイクニュースか判り得ず犬の鼻、鳥の目もたぬわれには


 一首目はコロナ禍、二首目はタリバン侵攻、三首目はロシアのウクライナ侵攻の歌。一冊の歌集にこれだけ衝撃的な世界情勢の変化がある。栗木はそれぞれ短歌を通して考え、ときに批判し、訴え、悲しんだ。前半の足立区に住まう歌とうって変わって、世界に否、なぜといういうような歌が並ぶ。後半にこれらの歌は集約されているのだが、この歌集の構成は新しき過去という主題が込められているのかもしれない。果たして過去になるのか、禍根は残すだろうが未来はある程度明るいのだろうか、そんな読後感が後半で一気に形成される。

 感想がなにやら深刻になってしまった。こころが遊んでいるような楽しい歌を最後に引用したい。


  〆鯖に赤酢の飯のよく合ひて暑さに耐へしわが身よろこぶ

  きさらぎの寿司飯の上《へ》に散らしゆく錦糸卵よ鈴振るやうに

  ごろ寝して本読む女はわれならむ寛政の世に歌麿の絵に