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魔王とト書き 抄(短歌連作+散文)

  魔王とト書き 抄 人口が減っていく街に君と住むアダムとイブとアロエで暮らす シューベルト「魔王」弾きける君の手がシチューを煮込み秋深みゆく 袋からつきだす長ネギぶらぶらと君と歩いて暮らしに戻る 新潟の本ズワイガニとコンビニのパンのトラックが並走したり こんなふうに歳をとるなとつぶやいて電車の席を立ち上がるなり 池袋地下の便所に男らがトの字に並びやがて散らばる 「社員証首にかければ笑顔」とぞト書きに書かるる小寒い朝だ 便器抱く金曜夜も大地抱く日曜朝も勤め人われ 友がみな結婚をしてゆく夜に赤飯を買い君と食べよう 君とわれ赤飯の湯気のなかにいて古代の夫婦のしあわせ思う   (二〇一九年北海道歌人会賞受賞作より)   白樺の森を抜けて  二〇一九年七月七日に札幌市教育文化会館にて北海道歌人会総会が開催された。東京は雨だったが、新千歳空港に着いたらカラッとした快晴で過ごしやすい。飛行機の兼ね合いで午後からの参加だったため、午前中の藤原龍一郎氏の講演は惜しくも聞き逃してしまった。午後は日本歌人クラブ優良歌集賞と北海道歌人会賞の表彰式から始まる。日本歌人クラブ優良歌集賞はかりんの佐藤衛氏の歌集『十四歳の兵』が、北海道歌人会賞は筆者連作「魔王のト書き」が受賞し、かりんのダブル受賞だった。佐藤氏とは初対面だったが、かりん誌上でお互いの歌を読んでいることや、かりんの歌の特徴とは何かなど話すことができた。授賞式のあとには歌会があり、鶯の歌について北海道に鶯はいるかなど、郷土に根ざした議論があり北海道の自然に対する矜持を感じた。また、「無辜の民」像の歌もあり北海道の開拓時代の厳しさも北海道ならではの抒情であった。歌会の最後には春日いづみ氏から、年々歌のレベルが向上していることや、現代短歌は口語と文語が融合して振り幅広く詠われているという講評があった。新千歳空港は飲食店が充実しており、海鮮丼と味噌ラーメンを一気に平らげてしまった。こころとお腹がいっぱいの一日になった。 (「かりん」(二〇一九・九)所収)

詠い続ける geko vol.11を読む

 gekoの会は同人誌も発行しているが、こつこつとネプリをやるところにgekoらしさがあるような気がする。発足とともにそれぞれのメンバーの歌歴も蓄積し、活躍の場が広がっていっているというのも、内部にいつつ観察をする楽しみがある。もちろん私は差し置いて。本文はそんな「geko」(vol.11/二〇一九・十一・二十四発行)の歌を読みつつ、そこからgekoとは何か示唆的なものがあるか模索していきたい。  差別心打ち消しがたく小籠包割れば溢れて来つ肉汁は   永山凌平「枸杞の実」  永山作品は台湾の旅行詠で一連つくられている。〈テーブルの下にて君はサンダルを脱ぎをり青い爪色をして〉や〈枸杞の実を匙ですくへり釣り合はぬ愛せし記憶と愛されし記憶〉など静かに相聞の気配が流れる連作だ。また、台湾の温暖な気候、素朴な雰囲気と、枸杞の実といった東洋的なモチーフが連作の雰囲気をつくっている。引用した小籠包の歌は差別心というより、海外への心理的な壁のようなものだろう。それを自覚しつつでも、小籠包には肉汁が溢れてきて、われは空腹感と、止めどなく流れる肉汁あるいは自らの感情に見とれてしまっている。また、小籠包は自らの心理そのもので、スプーンで切れ目をいれると、旅行で意識下のもやもやしたものが溢れてきたと読んでいいかもしれない。   電車には捕食者はなく広告の等間隔の称賛の声   山川創「無動物」  山川作品は社会へ批評的な視点をむけて、不条理さと、ときに皮肉を含んだ批評性、そのなかで人間的なものを模索する姿勢がある。引用歌は下句の等間隔に並ぶ広告に目がいく。〈等間隔に〉ではなく〈等間隔の〉ということで、位置関係だけではなく、称賛の声が均質化されていることに対する批評がある。電車の中には脅威はないが、同質化するように調整された環境であるということだが、その同質化も低水準に調整なされているのだろうと想像が及ぶ。そこに山川の危機感がある。ここで終わることなく、〈家にまともな靴下が二足しかない温暖化に抵抗したい〉という歌もあり、上句のユーモアで、温暖化に抵抗したいと物申すわれがいる。山川も筆者も気候変動に対する危機感が共通理解になりつつある世代だが、実際に産・官レベルでは全く対策が進んでいないのは国際会議の報道をみてもわかる。上句のようななんとも情けない感じがまさに、世の中の気候変動に対する認識なのだ

剥き出しの生命をみつめて 川野里子歌集『歓待』を読む

 今回は歌集鑑賞というより限りなく筆者の感想文に近いことをはじめに述べておく。逆編年体の歌集は編年体の歌集より少ない。本歌集はあとがきに「記憶は終わった過去ではなく現在進行形で変わり続けており、私と共に息づいている。」とあり、記憶を呼び起こし詠われていくような構成になっている。デカルトが『省察』で肉体は変化していくが、精神は変化しないと言っていたが、記憶はゆっくりと変化しつつ肉体よりも変わりにくいもので、ちょうど肉体と精神の中間にあるもののようだ。   転院し転院し隙間見つけゆくスプーンと赤いマグカップ持つて   散弾銃あびながら銀杏散りゆけり散つて散つても銀杏は尽きず   ああそこに母を座らせ置き去りにしてよきやうな春、石舞台  本歌集とりわけ、連作「Place to be」を読んで考えさせられた。一首目は「こんどどこにいくの?」という詞書がある。日本の医療制度では病状によって対象になる医療機関が違い、転院を余儀なくされることがある。したがって回復・悪化と繰り返すと何度も転院することになる。筆者も病院で退院の支援をするのが生業なので、転院をお願いする申し訳なさや点々とするさもしさのような感覚は、日々感じている。生活必需品はほとんどレンタル品で補えてしまうため、わずかな私物を持って自分が居られる場所を求めて転院するのだ。スプーンと赤いマグカップという小さなもので、しかし愛着のある(でてくる)ものが拠り所になってしまうという実存的な問題がある。読者は散文では表現できない感情を歌によって感じるのだが、医療に携わるものはこうした感情を患者やその家族が抱いていることに自覚的でなくてはならないと思った。二首目は病院外の場面だが、病状が不安定な母を案じながら生活するときの心情が反映されて、散弾銃と散る銀杏という死や滅びを想起させる歌になっているのだろう。三首目は前後に京都の歌があり、石舞台という題材から京都旅行を母としたときの歌だろう。歌集の後半にあり、逆編年体であることを考えると、「Place to be」より何年か前の歌で、そのときから母への微妙な思いを抱いていることがわかる。石舞台は春のほのぼととしたなかで、作者の中では美しい・心地よい場所とされている。しかし、石舞台はあくまで石舞台で、置き去りにしていくわけにはいかない。そうした母に対するアンビバレントな感情が変化しなが

海と空の匂い 佐藤モニカ歌集『夏の領域』を読む

  イニシャルのMがカモメに少し似るそれだけの縁われとカモメは   「ずつと一緒」のずつととはどのあたりまでとりあへず次は部瀬名岬《ぶせなみさきわ》   麦の穂をタクトのやうに振るときに故国の歌は母のために鳴る  カモメとわれは離れているようで、少し似るというのは形状だけではなく、空に少し近いと読んでもいいかもしれない。部瀬名岬は夫の沖縄県名護市にある岬で、夫との時間軸と、夫の故郷である沖縄と重なっていく。母から佐藤へとブラジルのルーツは続いている。麦の穂からブラジルの麦畑の情景を想起すべきだろう。タクトのように戯れに振ることで、下句の力強さでわれは故郷につながる。   子も猫もゐなくなりたる家のなか母の球根ぐんぐん太る   いかなる与太郎いかなる花魁住みをるや噺家のなかの江戸の町には   人の世に足踏み入れてしまひたる子の足を撫づ やはきその足   なべて女の産みたる命その命くづほるるとき嘆きのピエタ  歌集の中で結婚、出産があり家族詠が多い。われとその家族の生活史が豊かに詠まれている。結婚し実家から出たあと、残された母の心情を詠んだものだが、球根は寂しさの比喩だけではない。過去の記憶や、娘をめぐる様々な思いなどが膨らんでいくのである。層のあり冬を越す球根という比喩はまさに、辞書では見つけられない抒情を表した比喩である。弟は噺家になったようだが、落語は特に古典落語は、アレンジされ江戸の話なのに時折現代のモチーフが入り込んだりして観客を楽しませる。弟のつくりだす江戸の町はどんなところか、歌だけでなく、詩や小説を書くストーリーテラーな一面のある佐藤は気になるのである。後半は出産・子育ての歌もみられる。引用した二首ともに、出産を全肯定してるわけではなく、同時に失う悲しみが訪れる可能性が生じたことを詠っている。光には影が添うというと陳腐になるが、出産に対しても内包する死を感じるのは鋭い感覚だ。このように家族が佐藤の歌集の世界に参加していて、息遣いを感じるのも読んでいて楽しい。   路上にて盆栽売る人うつむきて優しさうなる背中が覗く   酒蒸しにされゆく浅蜊の上機嫌その幾つかは鼻歌うたふ  佐藤の歌の視点は多くは肯定的であると感じる。盆栽の歌では、視点が〈優しさうなる〉方向に目が向いているということになる。背中なので、哀愁や孤独を感じてもいいのだが、または盆栽ような年季でも

甲斐に咲く秋明菊 三枝昻之歌集『遅速あり』を読む

 本歌集は二〇一九年四月発行になっており、短歌研究社の企画である平成じぶん歌の歌も収録されている。したがって、平成を総括するような歌や、そこから自分のルーツを探る歌が収められている。ネットで短歌に人生を詠むことについての議論が一時期みられたが、文学・文化全般を巻き込みながら生きてきた歌人の歌集を読むと、人生は豊穣な題材であることがよりいっそうわかる。   食べること飲むことそして歩くこと冬陽のように人恋うること   六百年のたぶの木蔭で整えるウォーキングのいつもの息を   あや取りを誰としたのか指先に百日紅《ひやくじつこう》の香りが残る   鯖はたぶんノルウェー産それはそれこよなき柿の葉鮨となりたり  生活の中の歌を中心にみていくと、生活の中で自らに焦点を当てて歌をつくっているということがわかる。一首目はまさしく飲食と少しの運動のなかで規則正しい生活しているという歌。そのなかで、詩的な下句がきいてくる。明るくどこか儚げでそして、暑苦しくない冬の陽のような人への恋しさは、純粋で普遍的な思いであるが、散文では説明できない抒情である。相聞歌というより、家族や友人などへの愛がそうさせているようにも思える。また次の歌はウォーキングの呼吸と古木の呼吸のシンパシーがある。やや字足らずなのだが、ウォーキングの〈ウォ〉の部分をやや溜めて読むか、さっと字足らずで読んで息を整えている雰囲気を味わうかで読むことができる。百日紅の歌も先の冬陽の歌と同じく人を恋う歌だ。作り方はロマン調の歌で、抒情の質的には侘びがあるのだが、材料が美しく上手い歌である。鯖の柿の葉鮨の歌は、ふとノルウェー産かと勘ぐる思考回路が面白い。キマった歌だけではなく、軽く穿つ視点が短歌の魅力でもある。   「やくじぞうさん」は厄地蔵さんと後《のち》に知る母と詣でしやくじぞうさん   「はっかけばばあ」と囃すとき幼きわれが居る彼岸花咲く甲斐が嶺の野に   ぎんなんを大叔母が拾い祖母が拾いそれから長い冬の夜咄   落葉松の針をつまみて手に載せるわれの肩からかたわらの手に  故郷である甲斐の歌が、繰り返し歌集に収められている。本論冒頭で述べたように平成を詠うとおのずから境涯詠に通じるところがあるのだろう。〈やくじぞうさん〉は〈やくじ/ぞうさん〉とも読めて幼心に聞くと何が何やらわからない言葉のひとつか

帆は張ってある 檜垣実生連作「海賊の島」を読む

 歌林の会にはかりん賞とかりん力作賞のニつがある。比較的若手歌人対象のかりん賞と、ベテラン歌人対象のかりん力作賞という分け方で差し支えなかったと思う。今回は第二十一回かりん力作賞についての講評を、東京歌会の後の批評会で担当することになったが、諸事情あり見合わせたため、本ブログで公開しようと思う。受賞作は檜垣実生連作「海賊の島」と刀根卓代連作「わたつみの雲の夕焼け」で、私は檜垣作品を担当だ。  「海賊の島」は村上水軍の伝説が残る瀬戸内海のどこかの島が舞台で、内面を詠った歌も水や海のモチーフをもとに詠まれており統一感がある。作者は愛媛県今治市生まれということでまさに瀬戸内海が故郷で、回想の歌でも海が出てくる。海沿いで生まれた方は海を起点にものを考えたりすることが、内陸生まれの人より多いかもしれない。当たり前といえば当たり前だが、サピアウォーフ的な現象だ。   なにもかも海に捨ててたふるさとはさびしい舟の集まるところ   月夜には魚になりて泳ぐらし恋人がいる島のイノシシ   島島をのみ込むように霧が湧く 再発告知されるだろうか   海賊の島に土葬の父の墓 土を拾って墓じまいする  冒頭の歌から引用した。冒頭は連作のはじまりらしく場面設定や、予感を感じさせる歌を置くことが多いように思われるが、この歌もまさしくそんな歌だ。捨ててたものは思い出や、後に出てくる家族のことか、それとも島自体を捨ててしまったひともいるのではないかなど考えさせられる。またさびしい舟というのは狭い島々を渡るための小舟や、元島民の比喩かもしれないなど、読者の想像が膨らむ。イノシシの歌は、〈うるはしき牝鹿を恋ひてさ牡鹿は海を渡るといふ波の音 馬場あき子「瀬戸の島にて」『渾沌の鬱』より〉を想起させる。瀬戸の動物は泳げるものが多いようだ。イノシシが月夜に魚になるという奇想が面白い。これもお伽噺のようにイメージしてもいいし、ヒエロニスムボスやエッシャーのような超現実的な風に読んでもいいのだが、連作全体の雰囲気を考えると前者のほうがしっくりくる。イノシシのような野性味のある姿から、月夜には細く儚げな魚になるというところに、作者の内面が投影されているように思える。というのも、全体として恋の歌が多いからだ。作者は六十代後半で、作中主体も作者に近い像で設定していると思われ、そのなかで恋の歌を詠うということは、イノシシと魚