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窪田空穂著『亡妻の記』(平成一七・二/角川学芸出版)を読む

  窪田空穂が藤野と出会って死別するまでを回想した本である。元々形見分けのつもりで書かれた本であり、親しい友人や家族、そしておそらく自分自身が読み返すために書かれた。松本で代用教員をしていた空穂と生徒である藤野は、時間をおいて東京で空穂が新聞記者として生計を立てているときに同郷で元同僚の歌人太田水穂とのひょんな会話がきっかけで再び書簡を取り交わすようになり、紆余曲折を経て結婚する。藤野の生涯のある部分の個人史ではあるが、空穂の自意識もみてとれる。  空穂といえば近代短歌を代表する歌人のひとりだが、「娘の求婚者としての私を観たときに、私といふ者がどんな者に見えるだらうかといふ事はあまりにも分かりすぎたことである」と空穂は新聞記者の給与水準と、文芸を志すことから、書簡から読みとれる藤野の父の反応や、苦心しているだろう藤野を通じて自分自身をみつめていた。空穂の熱心なやりとりと同郷の太田水穂の奮闘が相まって何とか結婚したのであった。水穂の手引きで松本まで赴いても藤野の父との面会が叶わなかったなど苦労がみてとれる。文学で飯は食えないという風潮は今もあり、一部のプラグマティックな人は日文専攻を忌避するようなことも耳にするが、当時は立身出世の時代でありより一層そういった風潮が強かったのだろう。空穂側からみると気の毒ではあるが、その後の家族付き合いをみると藤野の家族も情が薄いわけではないことがわかる。  東京に戻ったときの空穂の家の描写があり、面白い。「小さな寂しい家だと、覚悟はしてゐたが妻は思つた。(中略)暗い玄関にランプの灯影がさすと、台ランプを手にした雇婆の姿があらはれた。(中略)四室《ま》の家であつた。住み古した家ではあつたが、代わりに家には不似合いな程空地があつて、家の表と裏と二た所あつた。裏道には椿の大きな樹があつて、塀で境した隣りの家の茗荷畑の茗荷が蔓つて来て」と、今の感覚ではむしろ二人暮らしの家としては環境がいいような印象だが、亀田屋酒造の藤野の実家と比べると都会の生活様式は大きな変化があっただろう。住環境はもとより空穂は都会は個人主義であることを書簡で書いている。その後の生活で食材の相場がわからなかったり、料理を失敗しないように慎重につくる藤野が描かれており、朝ドラをみているようで応援したくなる。藤野は家計簿を細かくつける癖があると空穂は述べている。商家の娘という