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ライネル・マリア・リルケ、森林太郎訳「老人」を読む

  三人の老人が登場する。三人ともほとんど動かず、毎日並んで座り、わずかな活動を繰り返し送るのである。地味な散文詩で退屈してしまう人もいるかもしれない。この繰り返しは単なる繰り返しではない。日の出と日没の交代を、   此交代は大体から言へばうるさい。だからそれを気に掛けるのは、馬鹿げた、無用な努力だと感ずる  と表現する。不本意に現代において上記のようなことを言ってしまうと、見当識障害があるのではとあらぬ疑いをかけられてしまう恐れがあるが、リルケはそのようなことをいいたいのではない。文学的にいうと老いの境地といえるだろう。暖炉よりも安く手軽に暖めてくれる太陽を求めて市の公園にいくのだ。公園に毎日通う主人公となる老人の他に、そこには貧院からくる二人の老人もいる。大酒飲みで痰を吐いて、足元に沼をつくる無頼の老人と、痩せて衰弱しているセンチメンタルさも持ち合わせる老人だ。主人公たる老人には孫がおり毎日迎えにくる。その孫に貧院に住む老人たちも心癒され帰っていくのだ。  リルケの住むオーストリアは当時近代化のはての大衆的貧困が蔓延していた。当時はまだ救貧法や慈善事業で福祉が担われていた時代で、国家的救貧制度もままならなかったようだ。つまり、貧院に入っている老人は絶対的貧困を下回っているということになる。一方で主人公たる老人には孫がおり多くのものを持っていることが示唆されている。   どうかするとペエテルの腰を掛けてゐた跡に、娘の手から飜れ落ちた草花が二三本落ちてゐることがある。そんな時は痩せたクリストフがゴチツク形の指をおそる〳〵差し伸べて拾つて、帰り途にそれを大切な珍らしい物のやうに手に持つてゐる。赤い頭のペピイはそれを馬鹿らしく思ふらしく痰を吐いて見せる。クリストフは腹の中で恥かしがる  後半のこの描写で三人の老人の存在は集約されている。生活背景は多く語られず、社会的背景は超越し、穏やかな晩年を三人で共有することを描き、リルケは生や人間を描きたかったのだろう。日本は恤救規則の時代で、オーストリアよりも日本的パターナリズムをもって救貧政策が施行されていた。老人だけはなく、軍人でもあった鷗外は傷病兵とも関わっていたであろう。近代的な身体障害者福祉法は戦後の施行なので、負傷し障害がある兵士は恩給や手当でその後の生活ができればいいが、恤救規則の対象になった人もいたことは容易に想像

「かりん」(二〇二一・十一)を読む

 結社誌を読んでいると、歌会や「前月号鑑賞」に取り上げられるだろうか、少し語りたいという歌に出会う。歌会は声に出した瞬間に消えてしまうし、「前月号鑑賞」は担当箇所しか書けない。だから体力的に、時間的に余裕があり、ブログを書けるときはブログで一首鑑賞したくなる。   手帳よりわが日日拾い出されつつ年表となりゆくを見てゐる 馬場あき子  馬場あき子全歌集の年表作成の風景だろう。見てゐるというのがどこかここにあらずという感覚がある。手帳には私的な出来事も書かれているが、テキパキと選別されて年表になっていく。自分の生の体験が年表という歴史になってしまう非現実感がこのここにあらずの感覚に出ている。とはいえこの感覚を真に共感できる人が世に何人いるかと思わされる。   頸椎を傷めて右手が使へぬに右手に思ひがどつと流るる 川井盛次  頸髄症で麻痺が残ってしまった。これは不幸として語られることが普通だ。しかし、この歌は右手のいままでしてきた仕事に思いを馳せる。物を書いたり、人を撫でたり手は自分自身の多くの部分を担っている。麻痺した右手のこれまでの仕事を肯定し、エンパワメントしているのである。思いがどっと流れるという描写も面白い。血液、もしくはもっと大きな滝のようなイメージで詠っている。   角打《つのうち》や鴨狩津向《かもがりつむぎ》トンネルに村名つらねる中部横断道   古田香里  村が存続しているかわからないが、トンネル建設によって消えてしまったと仮定すると、トンネルは村の墓標のようである。あるいはトンネルと関係ないのであっても碑文のようである。名が残るのは残らないよりはまだ救いがある。しかし、消えてしまわずに存在し続けるのもかなしいことである。   それはもう、ばっさり切って床の髪 このあと寿司と映画を奢る 郡司和斗  映画の一場面のようなアンニュイな景がある。床屋にいかずセルフカットで節約しているが、床に髪の山ができるのも生きているって感じが希薄ながらするのである。ばっさりという潔さがありながらも、初句のはいりが勢いを抑制している。で、そんなミニマルな生活であるが、寿司と映画を奢らなきゃいけない。友人にはあまり奢らないだろうから、後輩か、恋人か、あえて奢ることを提示することで、奢りたいわけでもなく、嫌々でもなく、奢ることになるという虚無感を感じさせられる。   無常から逃ぐるこ

鉄ペンという選択

 万年筆を買った。パイロット社のカスタムという万年筆の定番のシリーズだ。そのなかでもペン先がステンレスでできている鉄ペンといわれるものを選んだ。万年筆ファンの極右からは邪道といわれるだろう代物だ。万年筆といえばペン先が金で滑らかな書き味と、適度な摩耗性が愛着を呼ぶものである。一方、鉄ペンは扱いが悪いと少し紙に引っかかり、撓ることもない。細字のボールペンを使うほうが機能的ではといわれてもおかしくない。  さて、ここで自分なりに鉄ペンを擁護したい。まずは頑強性である。撓らないのは硬さの裏返しであり、仕事で速記するのにいいし、書類の小さい枠にも的確に筆記できる。少ない文字を速く書くことが求められる現代人に向いているのだ。また、摩耗しないので持ち主のクセに左右されず、メンテナンスの頻度も少なくて済む。ここに精神的な安定性や、プラグマティズムを見出す。鉄ペンは速く的確に仕事をしてくれるのだ。金ペンは香り高い文章をゆっくり紡ぎ出すイメージだ。近代の書簡や対人間の紹介状など、手書きの書類が力を持っていた時代のものだ。また、現代においても重厚な散文、韻文を紡ぎ出す道具だ。鉄ペンは加速化してしまった社会生活と、ゆったりとした文芸生活を橋渡しする存在でもある。  市井に生きる人間はなかなか金ペン的な生き方はできない。生業でも創作でも時間を見つけてせかせか書く鉄ペンな生き方を余儀なくされる。しかし、ノック音の軽い樹脂製ボールペンよりいくらもマシなのだ。鉄ペンとともにマージナルに生きている自負がある。沖仲士の哲学と称されるエリック・ホッファーはどんなペンを使っていただろう。ボールペンかもしれない。沖仲士は鉄ペンなんて悠長なものは使っていられないだろう。