投稿

2月, 2023の投稿を表示しています

中沢新一、山極寿一著『未来のルーシー 人間は動物にも植物にもなれる』(二〇二〇・三)を読む

 中沢は人類学者で、『アースダイバー』や『レンマ学』など、横断的な知の体系を、仏教や民俗学など東洋的な視点で論じるイメージがある。山極は筆者が学部生のとき心理学を専攻していたので、京都大学の元総長で霊長類研究の権威だということは寡聞ながら知っていた。昨今、ポストヒューマンやマルチスピーシーズ人類学といった潮流をたびたび目にするようになってきており、魅力的な対談である。  本書は六〇〇万年前、大地溝帯が出来上がり気候が分化し、アフリカの哺乳類の生息圏に影響を与えるところから対話が遡る。そこから人類は時間をかけながら大移動して旧石器時代、そして土器作成技術が小さな島国にもたらされ縄文時代が始まる。農耕が始まるのは社会脳や神の出現などの認知革命のなか、列島各地の民が移動し受け入れたり拒んだりしながら定着していく。そうか、確かに神は農業と影響しているし、文芸でしばしば愛でられる月や星は遠方まで船で移動すれば方向を指し示すものだが、陸地にいる以上は暦に利用されていたと説明されると納得がいく。このあたりで記号や表象と農耕以後の人類史は結び付いてくるのだろう。対談は農耕から資本主義の話に収束するのだと思ったが、さらに拡散し、七万年前のブロンボス洞穴の月齢の刻印と、音声学的なオクターブがともに回帰するという共通点や、酸化鉄によるボディペインティングから動植物の形状の変化、芸術の話になる。そして次の頁ではジャングルの多様な生態系と、現代の製品や全体主義の均質化を対比させ社会批評をする。華厳、ユング、源氏物語と自由に知を行き来しながら多様化した文明と、マルチスピーシーズな人類学とを関連させ論じる。  中沢の思想のひとつにレンマがある。一般的には仏教の縁起というものになるのだが、山極のあとがきによると元はテトラレンマというナーガールジュナの四段論法として知られる大乗仏教の思想らしい。本書では中沢が「言語構造が人間の心にある程度及んでいるとしても、及んでいないものもあるのだということを出発点にしたときの世界観がレンマと呼ばれている」と説明している。本書で論じられているマルチスピーシーズな領域では山極がいうように曖昧なものは曖昧にしておくレンマの考え方が有効だと思った。レンマは里山や橋など境界を主にするという視点にも繋がる。地理的景観だけではなくそれらには環境倫理や民俗学的な主題がある。また