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休日夜は長歌と短歌に戯れる

  鯉 見下ろした柳瀬川には鯉五匹ゆったり泳ぐ。足早に小さき鯉が鯉の群れ通過しゆけば、春の川はなやぎはじむ。われも飲むエナジードリンク血管に春のうねりが満ち渡る。子鯉もわれも滝に昇らん。   反歌 春まひる「ドラゴンブースト」飲干せば子鯉もわれも辰になるかも   老年について キケローは大カトーなる老人に老いはよきやと語らせき。執政官終えて葡萄を育ていし大カトーこそすがしけれ。枝葉をおのがじしに切り詩を紡ぐごと果実なし、また詩を吟じ、若人に囲まれるる男。八十になりても枯るることなしと余計な情報あとがきにあり。   反歌 老人と思い老年に生きたしとわれにしか言う人はあらざり 老い方はそれぞれのもの引きこもることもうべなう支援者であれ   煎茶を二杯 老メタセコイアの木群見おろしてわれにまだまだ青二才という 川沿いに鯉を眺める平凡が嘘めいてくるキナ臭さたつ 侵略の起源をたどり農耕にいきつく午後の読書あやしき 茶刈機はトラクターとはちがうもの坊主頭を刈るように刈る 代替りしたお茶屋から買いにけり煎茶はどうして二杯煎れるか 苔寺のような飲み口渾身の煎茶のレポート母に言いおり 独身は残業しても大丈夫徴兵されても大丈夫なのか 豚まんとピザマンを諸手に持ちて月曜日少し美しくせん 独身の身軽さ路肩を抜けてゆく電動キックスクーターかな 昼の月、最寄り駅までの道のりを指差すときにわれのみぞ知る  芙蓉 荒庭に芙蓉咲きそむ。母からのLINEに徐々に開花する白芙蓉あり。父母と祖父母がわれの誕辰に植えけん芙蓉。すっかりと忘れいしなり。改めて手折れんとすば茎とまる数多の蟻よ。その蜜を求むるとみればその手止めたり。   反歌 荒庭を引き継ぐわずかな思い出と片付けるべきゴミもある庭 長歌は口語つかえず反歌まで近代めいて肩こりすごし

松岡正剛著『うたかたの国 日本は歌でできている』を読む

  帯に「歌を忘れた日本人のために」、「物語も、日記も、茶の湯も、屏風絵も、信心も、国学も、日本はいつも歌とともにあった。」と書かれている。折口信夫の『国文学の発生』などからうかがい知れる呪言の時代、万葉集で知られる古代から、狂歌隆盛の近世、国学の幕末、そして近現代と確かに歌はその他の文化と絡み合いつつ脈々と歌い継がれている。松岡は他ジャンルの知を吸収し編集し発信している知識人という印象があるが、本書も歌に関して人文学的知を踏まえながら、現代のポップスや外国文学、社会システム論など幅広い視点もある文学論がリミックスされている。  松岡は歌以前の音声の話で「まず、山や鳥や魚のたてる音があった。そのナチュラル・サウンドはカミでもあるし、信号の原型でもあった。東南アジアでは「ピー」といい、中国ではこれを「気」といい、日本では「もの」といった。「もの」は霊である。」と述べている。音の発生はその後の文化に色濃く影響を与えていることに読者は気づくだろう。たとえば「気」は東洋的な自然科学のルーツともいえ、中国文明が早くに発展したのは気の見立てから始まっていたように思える。「もの」は例えば内藤湖南が『大阪の町人学者富永仲基』(一九二五・八/大阪文化史)で富永仲基が学問に国民性があることを説いており、中国は文で日本は質であるとして、中国は文飾を好むが、日本人は目まぐるしい回りくどい奴にぶつかるとわからなくないため、手短なものが好まれるとしているとしている。「もの」は霊であり、その後分化して幽玄、艶、粋に発展する一種の気分なのである。松岡はそこまでは述べていないが(リミックス前はもしかしたら言及しているかもしれない)、「気」、「もの」の書きぶりは暗に問題提起しているのである。   あかねさす 紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 額田王  万葉仮名の松岡の捉え方も面白い。本書では「万葉仮名システム」と述べている。引用歌について〈紫野行き〉は万葉仮名で〈武良前野逝〉である。「むら」は漢字の音を借り、「さき」というのを訓読みから持ってきているという複雑な使い方をしている。〈振る〉は〈布流〉で布が流れるというイメージを利用している。漢字の日本語的な使用である万葉仮名システムは不完全で、「日本人の気持ちや日本文化を表現するには、まだふさわしくない。」と述べており、次のページに日本語の成熟につ

小高賢著『老いの歌 新しく生きる時間へ』を読む

  超高齢社会から多死社会へとシフトしている昨今だが、一般的には何がサクセスフルエイジングになるのだろう。高齢になっても生き生きと社会的役割や余暇を楽しむということなら中谷宇吉郎が『中谷宇吉郎随筆選集第二巻』所収の「老齢学《ゼントロジイ》 長生きをする学問の存在」(一九六六・八/朝日新聞社)で当時の国際雪氷委員会前会長チャーチ博士が八十二歳にしてヒマラヤの積雪調査のためにアンデス山脈を六カ月も歩いていたというエピソードを紹介している。そのうえがいるとしてミシガン大学のホップス博士が九十一歳で自身の論文の反論がないことに不満を抱く若々しさや、ノースペンシルバニアに旅行に行くというフットワークの軽さを挙げている。中谷の時代から老齢学は注目されており、現代からみてもサクセスフルエイジングだといえる事例である。現代の視点からみて物足りなく感じるのは、紹介されている事例は超人的であり市井のひとの老いは反映されていないということである。実際中谷は当時の大衆のなかに五十代で老け込んでしまうひともいることを随筆中に述べている。前置きが長くなった。小高賢著『老いの歌 新しく生きる時間へ』は老いの歌に注目したものである。小高が引用している歌人や総合誌の特集などで老いの歌は何度も注目されてきたが、『老いの歌 新しく生きる時間へ』の第一刷は二〇一一年である。介護保険法が施行され十年とちょっとの年に、専門家人から新聞歌壇に投稿されるような歌にまで幅広く老いの歌という目線で迫るのは慧眼である。  小高は序文で老いとは発見されるものとしてみている。短歌史において八十、九十まで生きるというのは稀なことであるし、おそらく文化人類学等の分野の学説だろうが二十世紀に人間や社会における三つの発見があり、無意識、未開、子供という領域であることを紹介し、二十世紀後半からの発見として老いも未知の後半な領域であると述べている。   のび盛り生意気盛り花盛り 老い盛りぞと言はせたきもの 築地正子『みどりなりけり』  この歌を引用して「老いみずからが自分の内面をのぞいていることが特筆すべきことなのである。みずからの老いを眺め、考え、悩み、短歌で表現している」と評し、小高はこの歌に限らず老いの歌はとても元気がいいとしている。先に触れた中谷のいうような高齢者が、社会の進歩で増えている時代である。チャーチ博士やホップス博士

空穂はミーハーな山の歌人

   つめたくも笑はんものか何を見てさしもは笑ふ一つの羅漢 窪田空穂『鳥声集』     詞書に新しく出来た武蔵野鉄道で飯能まで行き天覧山に登ったと書かれている。天覧山には十六羅漢像という史跡がある。天覧山の見どころの一つで、江戸時代に徳川綱吉が病気の治癒の祈祷を僧に依頼し、そのお礼で建立したとされる。空穂は顔をよく詠む歌人だが、羅漢像においても表情に注目している。何を見てもあんなに笑うというのは、羅漢像特有のひょうきんさが出ているが、そんな羅漢も冷笑するのだろうかとふと思うのである。上句で覚めた把握がありまだ若さの残る鋭敏な知性が垣間見える。『所沢市史ダイジェスト版 ところざわ歴史物語』(二〇二〇・十一/所沢市教育委員会)によると武蔵野鉄道はいまでいう西武池袋線で大正四年四月に開通した。『鳥声集』は大正五年刊行なので武蔵野鉄道が開通してすぐ天覧山に臨み、すぐに引用歌をつくり、歌集を上梓したということになる。武蔵野鉄道の開通が当時どれほど反響だったかはわからないが、そうした事実からミーハーな空穂がうかがい知れる。山好きの空穂にとっては秩父山脈にアクセスしやすくなり、手始めに天覧山に登るか、という気分もあったのかもしれない。〈飯能《はんのう》の天覧山《てんらんざん》はひくかれど登り立てば心たのしくありけり〉という歌もあるが、日本アルプスを踏破するほどの登山家にとって天覧山の〈心たのしく〉は、高山の厳しくも雄大な自然に心打たれるのに反して、低山の散歩の延長のような日常的な楽しみに近いものだったのだろう。たのしいのは〈心〉と特定しているあたりが、日常感がある。さて、天覧山は埼玉県西部の出身なら遠足で訪れる山として有名であるが、昨今では未読だが『ヤマノススメ』という漫画にも取り上げられ、全国的にも名を知られるようになった。ミーハーな空穂はいま生きていたら『ヤマノススメ』を読んでいたに違いない。