ホタルはいるね 高橋千恵歌集『ホタルがいるよ』を読む

  ホタルを最後にみたのはいつだろう。日常生活ではホタルに出会うことはないし、さらにいうとホタルの存在を忘れていることがほとんどだ。


  「氷いちごを食べたみたいね」染められた赤いプラークそしてその舌

  おさなごがぷうと風船ふくらますように無花果まだまだ実る


 歯科衛生士である高橋は歯科医院でのケアのほか、福祉施設に訪問してケアすることもあるようだ。プラークの検査で赤い染料を使用した記憶がある人も多いだろう。そのときに引用歌のように氷いちごを食べたみたいだとか、ドラキュラになったみたいと笑い合った人もいるはずだ。そんな微笑ましい歌である。引用歌の場合は回想ではなく、現在の歌で染められる側でなく染める側なのである。歯科衛生士は乳歯から義歯まで関わる。分かりやすく、怖がらせない説明は先述のように微笑ましい記憶と同居するのである。二首目は歯科以外の場面から引いたが、先の歌の表現に近いものがある。無花果の形態の比喩が可愛らしいのである。ガクの部分の反り返りも風船らしくドンピシャの比喩なのである。


  「それいいねドコのエプロン?」「通販よ」くるりと回るロッカー室で

  トマトにも負けないわってつやつやのプジョーはキーもドアも重たい

 もう少し歌を読み進めていくとチャーミングなわれというものがあるのだと気づく。それいいねの歌はエプロンの入手先を問われ、「通販よ」と答えるが、たとえばわれが実店舗を答えて質問者が「じゃあ今週末行ってみようかな」とつながるほうが順当である。しかし、通販だと少し肩透かしを食らった感じになる。そしてわれがくるりと回るそんな少しシュールでほのぼのとした場面である。トマトの歌は、トマトとプジョーがつながるのが独特で面白い。プジョーは丸みを帯びたデザインのものもあるが、外車で獅子のエンブレムがカッコいいイメージがある。そんなプジョーがトマトと張り合う歌は、無花果を風船で表現した感性に近そうである。


  雪うさぎ並べておりぬ東京にまだいるのかと問われていたり

  たっぷりは深さでしょうか この三月《みつき》わが身流るる近江のうみは

  指先を揉みながら塗るユースキンだからだからの冬がはじまる

 陰陽があるなら陽の歌を多く引用してきた。楽しい歌の裏には上京や京都での研修などの奮闘がある。引っ越しは引っ越す理由も紆余曲折あるだろうし、引っ越し自体も心理的負担が大きいという心理学の知見がある。雪うさぎを没頭してつくるのは、情景は美しいがストレスコーピング的な行動でもある。それを家族は見抜いており東京にまだいるのかと問うのである。たっぷりは深さでしょうかの歌は〈たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり 河野裕子『桜森』〉を踏まえている。研修で京都に滞在して河野の歌枕に触れ、京文化にも触れる。琵琶湖の水がたっぷり身の内を巡ったが深まったのかと問うのである。問う相手は河野なのかもしれないと思わせられる歌である。最後に好きな歌を挙げる。〈だからだからの〉というのはわかるようでわからない。しかし、わかるようなというところに歌があるように思える。だからだからと奮闘して歌と生活を送るわれに共感しともに頑張りたいと思わされる歌集だ。

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